エントロピー, 世界の秩序とシステム

40年ぐらい前だったか、その本、自分の中では伝説となっている、エントロピーの法則という本を読んだのは。著者はジェレミー・リフキン。

その本で述べられていたのは、ちらっと覚えているのが、太陽光エネルギーを我々のエネルギーシステムの基盤とするなら、社会や経済のシステムを分散型に変える必要があるということである。太陽光エネルギーというのは、自然の動植物に対してそうであるように、分散型の物であるということで。

母なる地球に降り注ぐ太陽光は、レーザー光線や火炉の中の火炎の様なものとは違う。
常に十分な量を与えつつも、どのような生命体に対しても、集中的、集約的な形態ではなく、生き残ろうとする生物に平等に配分されている。

植物は、生命活動のエネルギーの貯えであるでんぷんを光合成で得るために、日光が必要。そして動物は、植物を食べることで、そのエネルギーを集めることができる。
林や森にはたくさんの種類の植物がその広範囲に存在し、そこには、霧雨のように日光が降り注いでいる。

これに対し、火力発電所や原子力発電所は集約型であり、それゆえ、資本主義や都心部への人口集中の傾向によく合うものである。

ただし何事も限界というものがあり、このような集約型は加速的にほぼ限界に達しており、環境や持続性、要は、脱炭素やSDGという問題を導いている。

専門家の間では、太陽光が解決策のひとつとして提案されているが、上述のような文脈はエネルギー源だけでなく経済や社会のシステムも、太陽光の性格に合わせて変えることの必要性を示唆している。

どなたか、太陽光のような再生可能エネルギーによく合うように経済や社会の形態を変えるアプローチを御存じないでしょうか。あるいは、もし現在提案されている解決策は単なる現在の古いやり方の拡張に過ぎないのであれば、我々はエントロピーの餌食となってしまうでしょう。

現在のネットワーク技術を考えると、人々の知識や意識、コミュニケーションなどの集約や統合は、物理的な集約が無くとも可能であり、同時に、個々の価値観もまた、森の中の各種そして個々の植物のように尊重され得ます。もし集約すべきものと分散すべきものとを洗練されたやり方で区別されるなら、太陽光は我々の生活によく合うものとなるでしょう。

正直なところ、SDGなどの取り組みは、どうも、そういう方向にあるようには見えない。

ウクライナの戦争は、ある意味、エントロピーのネガティブな効果により引き起こされました。第二次世界大戦のあと、世界は、世界秩序においてエントロピーの低い状態を構築できたかに見えていました。そして最近になって、その低エントロピー状態を維持できていなかったことが分かり、ロシアによる悲惨にしてばかげた戦争を許してしまったのです。

それゆえ、エネルギーや環境のシステムもこのようなエントロピーの増大に陥ることがあり得ます。あの戦争に見るように、人類はまだ古臭いシステムを保守することを優先し、エントロピーを最小にすることをためらっているからです。

まあ、いずれにせよ、これは無知で科学者のフリをしている人間の意見です。

不明 のアバター

投稿者: taka8taka8

I am a middle aged man who cannot stop creating something in my imagination.

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