リフィーディング症候群、低体温症および人間性

彼らはそれをどういうわけか知っていました。当時、それに関する科学的または医学的知識は共有されておらず、まだ確立されていないにも関わらず。

飢餓状態にある人に栄養価の高い食べ物をいきなり与えることは危険なのです。 それはリフィーディング症候群といわれるものです。

そして、低体温症を示す人に直接的に温めようとすると、それはまた命の危険になります。 多くの場合、その人は一種のショックを示して死んでしまうのです。

日本では、武士の時代に、彼らの日記から想像するに、一部の武士はリフィーディング症候群のような現象をある程度知っていた可能性があります。

また、日本では、1800年代後半頃に、100人以上の漁師が亡くなり、ほんの数人が生き残ったという海難事故の大規模な悲劇についての記録があります。 生き残った人々は小さな島の人々によって救われたのですが、どうも島の人々は低体温症の治療法やリフィーディング症候群の回避方法を知っていたようなのです。その時代の日本ではこれらの問題についての知識はまったくなかったはずですが、 たぶん、彼らは命を救ってきた彼ら自身の歴史を通して、ある種の経験的な知識を獲得したのでしょう。

チリの銅山に閉じ込められた33人の男性についてのノンフィクション小説を読んだことがあります。 そのストーリーでは、リフィーディング症候群の予防策が説明されていました。 その中で、リフィーディング症候群の知識についての簡単な説明を少し覚えています。 そこでは第二次世界大戦中の捕虜の治療経験を通じて、その知識が公式に認められたと述べられています。 (米軍将校と兵士が日本軍に捕らえられ虐待された……のです。現在の日本人にとっては厳しい話ですね・・・)

とにかく、ここで私が言いたいのは、知識が科学的に確立される前に、何人かの人々がすでにそれを知っていたという事実です。

もちろん、特に知識が非常に具体的である場合、経験を通じてある種の知識を得ることができますが、リフィーディング症候群の場合、普通に考えて、飢えた人の命を救おうとするのであれば、誰もが単純な結論として、栄養たっぷりの食べ物を与えようとするでしょう。

どうすれば、このようなリスクを認識することができるのでしょうか? 彼らの手の中には人間に生きる力を与える食べ物があるのです! 彼らは、「はい!今すぐこれを食べて、元気になるから!」と思うでしょう。

低体温症に関しても、焚き火などで低体温症の人を温めようとすることにおけるリスクをどのように認識することができるのでしょうか。 人は単に患者の体に暖かさを与える必要性を理解しています。 そして、もし患者が亡くなったとしたら、その人は、暖かさを与える方法を疑うのではなく、単に手遅れだったと思うでしょう。

日本でのその漁師の海難事故で、その小さな島の人々は海岸に漂流した何人かの漁師を見つけました。 そして島民は漁師を小屋に連れて行き、そこで彼らの妻と成長した娘は裸で、彼らの体を漁師の体に接触させ、彼らの自然と生物学的熱が漁師の体に伝わり、それによって低体温症から回復しました。 彼らは焚き火の熱を漁師たちにあてませんでした。実際には当時、彼らは小屋を暖めるために焚き火を持っていましが、それをあえて使わず、奥さんや娘たちに裸で添い寝させて温めたのです。彼らが救おうとした人々はすべて正体不明の見知らぬ人だったのですが。

島民は、漁師たちが命を維持していることに気づいたとき、完全に回復していなかったのですが、漁師たちが食べ物を欲しがっていたにもかかわらず、赤い粘土質の土を白湯に溶かしたものを彼らに与えました。 それから数日後、軽い食べ物、スープのようなものを与え始めました。

なぜ、知っていたのでしょうか。

彼らがそれを知るずっと前に、彼らが海岸で何人かの人を見つけたとします。そうしたとき、その知識につながる可能性があるのはどういった状況でしょうか?
例えば・・・こんなことだったのでしょうか。
 各家族は非常に小さな小屋に住んでいるので、1つの家族が1人をその小屋に連れて行くことにしました。 一部の家族は焚き火をする余裕がありますが、他の家族はそうではありません。 当時、そのような島民は、死ぬほどではないにしても、やや貧困に近い状態に苦しんでいました。 それでも、何人かの家族は彼らの焚き火を使っていました。 他の人たちは、焚き火の代わりに家族全員が集まって暖かさを分かち合い、体を使って人に暖かさを与えるために、毎晩寝ていました。 その両氏たちを小屋に連れてきた日の翌朝、彼らは、何人かは助かり、何人かは死んでしまったという事実を見つけました。 それから彼らは、生き残ったのは焚き火を使わなかった家族に連れて行かれた漁師であるという事実を発見しました。

リフィーディング症候群の場合、一部の家族が食べ物を買う余裕がなかったと仮定すると、——-いやぁ ありえないですね。 生きている家族は、彼らが食べ物を持っていることを意味していますからね。 だから、—–、こういうのはどうですかねぇ、ある人は 栄養のある食品を与え、ある人は最小限の軽い食品を与え、また別の人(食料備蓄がほとんどなかった家族)は木製のトレイで水のみを与え、そしてさらに別の人(食料備蓄がほとんどなく、食器もままならない家族)は赤い粘土質の土で作った場末のトレイに水を入れて与えた、とか・・・。

今日、科学者は、いわゆる対照実験というものを行ったりします。 たとえば、科学研究の目的が光合成の存在を確認することである場合、彼らは複数の実験を行います。 1つは、木の葉をそのまま残し、もう1つは、葉を不透明なシートで覆います。 それからしばらくして、彼らはこれらの葉にいくつかの化学物質を使ってでんぷんの存在を検出しようとします。 結果は明らかです。

この手の話、特に島民がそれを知るようになった理由についてはよくわかりません。 とにかく、彼らの行動に関する限り、それは人間性の力として評価することができます、そしてそれ故に今、そのような技術の時代に入ると、どんな科学的および技術的活動も常に人間性と共に確立されるべきです、さもなければ、そうしたものは生命を脅かすものになってしまいます。

こういうのはどうでしょうか。 世界中の平和な家族がウクライナに移り住み、ウクライナ人と隣同士に住み、ロシアの攻撃が続いていたにもかかわらず、武器を与える代わりに、戦争で荒廃した地域の復興活動やウクライナ人との日常生活、生産、小麦の生産を手伝ったとしたら(その人たちは戦争を一種の自然災害とみなしていて、攻撃が始まると、全員が避難所に避難するのですが・・・)、敵だけでなく世界の平和な家族を標的にしても、ロシア人はさらに攻撃を続けるでしょうか? つまり、この種の行動は、漁師の隣に添い寝して命を助けた島民とおなじようなものでしょうか。 いいえ! いいえ! いいえ! いったいどうして平和な家族がそのような危険な戦争地帯に引っ越して、戦争を自然災害と見なして生きていくことができるのでしょうか?
無理! あるいは、そのような救いの方法で実際に救われる必要があるのはロシア人かもしれません。

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投稿者: taka8taka8

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