クジラと人類の進化の過程での形態変化を追いかける。

クジラの形態変化を化石から追いかけるのは比較的明確でわかりやすい。時間軸にそって化石を年代別にならべればよいだけだ。それはもうクジラの何万年・何億年という時間幅の形態変化をごく数秒に縮めてアニメ化したような感じになる。

4つ足の陸上動物から始まって、化石の形態が連続的に変化していく様子を見る事ができる。足が短くなり、指どうしがつながって一体となり、後ろ足もイルカの後部のようになっていく様子が現れる。明確でわかりやすいのは、ある年代の化石と、そのとなりの世代の化石との幾何学的な関連性だ。明らかにそこから、クジラが陸上生物から進化したことがみてとれる。

一方、人類の場合は進化による形態変化を追いかけるのはそう明確にはできないようである。今もなお、学者は幾何学的に少しずつ変化していく様子がうかがえる化石を探している。ネアンデルタール人と人類との何万年というスパンで間に置くことができる化石は発見されていない。

従って、ネアンデルタール人から人類への生物学的形態変化は、ほぼ一瞬にして起こった。おーーーーー、何と偉大なる理論じゃ・・・・

まって!なんてこった!頭おかしいでしょ。あんた!そんなことあるわけないでしょうが!それって、ハリウッド映画の新作?”セオリーインポッシブル”とか?

私が20年ぐらい前、オーストラリアの発電所建設プロジェクトで仕事をしていたときに、同僚のオーストラリア人が、こんなことを言っていました。
「俺は、大真面目に、人類は宇宙から来たと思ってる。」
「え?どういうこと?」私は聞きました。
「サルから人類が進化したという決定的な証拠はない。俺が思うに、その昔、有史以前に、幾つかの宇宙種族が地球のいくつかの場所にそれぞれ降りてきて、そこに住むようになった、だから地球にはたくさんの人種がいるんだ!」
彼は、自信満々に肯定した。

注)この記事では、アルコールの影響は無視しています。それは、摩擦を考えないことにする、初頭物理学と同じです。

彼の超越的な理論に刺激されて、わたしも別の酒気帯的誇大幻想を描きました。(心の内なる声は、「やめとけよな!」と言ってましたが・・・)

その時、あるひとつの宇宙人種が美しい地球を見つけました。そして、この惑星に住みたいと思うようになりました。それまでは、彼らは、宇宙居住施設の中に閉じこもって暮らしていたのです。そこには、地球にあるような美しいものは何もありませんでした。無論、彼らの究極までに発達した科学技術によって一部の隙も無い完璧な宇宙居住区ではあったのですが。

しかしながら、彼らは、彼らが地球に降りることが出来ないという事実を知った時、悲しく思いました。彼らのDNAは地球には適合できないのです。地球に適合できるのは、地球の長い歴史を、DNAという機能を動作させながら経験してきたDNAだけなのです。それはまるで、自分の母国語を、翻訳家や、それら二つの言語を関連付ける知識さえもない別の国で話そうとするようなものです。

とにかく、彼らの科学技術は非常に発達していたので、彼らはおどろくべき答にたどりつきました。「我々のDNAとネアンデルタール人のDNAから、新しいDNAを合成すればいい」彼らは、地球のDNAのたいへん長い時間をかけた発達に大変な敬意をはらっており、それは、他のものに代替できないことを認識していて、それゆえ、彼らが地球のDNAと同じ力を得るには、DNAを共有することが唯一の方法でした。

その新たに合成されたDNAはネアンデルタール人の生殖システムに組み込まれ、我々の先祖となる新しい人類が生まれました。

これこそが、クジラの場合とは違い、人類の進化による形態変化を時系列で追いかけられない理由なのです。

あちゃー、またやっちゃった。

でも、人種差別や戦争なんかは、私の幻想よりも劣っているよね?

エントロピー, 世界の秩序とシステム

40年ぐらい前だったか、その本、自分の中では伝説となっている、エントロピーの法則という本を読んだのは。著者はジェレミー・リフキン。

その本で述べられていたのは、ちらっと覚えているのが、太陽光エネルギーを我々のエネルギーシステムの基盤とするなら、社会や経済のシステムを分散型に変える必要があるということである。太陽光エネルギーというのは、自然の動植物に対してそうであるように、分散型の物であるということで。

母なる地球に降り注ぐ太陽光は、レーザー光線や火炉の中の火炎の様なものとは違う。
常に十分な量を与えつつも、どのような生命体に対しても、集中的、集約的な形態ではなく、生き残ろうとする生物に平等に配分されている。

植物は、生命活動のエネルギーの貯えであるでんぷんを光合成で得るために、日光が必要。そして動物は、植物を食べることで、そのエネルギーを集めることができる。
林や森にはたくさんの種類の植物がその広範囲に存在し、そこには、霧雨のように日光が降り注いでいる。

これに対し、火力発電所や原子力発電所は集約型であり、それゆえ、資本主義や都心部への人口集中の傾向によく合うものである。

ただし何事も限界というものがあり、このような集約型は加速的にほぼ限界に達しており、環境や持続性、要は、脱炭素やSDGという問題を導いている。

専門家の間では、太陽光が解決策のひとつとして提案されているが、上述のような文脈はエネルギー源だけでなく経済や社会のシステムも、太陽光の性格に合わせて変えることの必要性を示唆している。

どなたか、太陽光のような再生可能エネルギーによく合うように経済や社会の形態を変えるアプローチを御存じないでしょうか。あるいは、もし現在提案されている解決策は単なる現在の古いやり方の拡張に過ぎないのであれば、我々はエントロピーの餌食となってしまうでしょう。

現在のネットワーク技術を考えると、人々の知識や意識、コミュニケーションなどの集約や統合は、物理的な集約が無くとも可能であり、同時に、個々の価値観もまた、森の中の各種そして個々の植物のように尊重され得ます。もし集約すべきものと分散すべきものとを洗練されたやり方で区別されるなら、太陽光は我々の生活によく合うものとなるでしょう。

正直なところ、SDGなどの取り組みは、どうも、そういう方向にあるようには見えない。

ウクライナの戦争は、ある意味、エントロピーのネガティブな効果により引き起こされました。第二次世界大戦のあと、世界は、世界秩序においてエントロピーの低い状態を構築できたかに見えていました。そして最近になって、その低エントロピー状態を維持できていなかったことが分かり、ロシアによる悲惨にしてばかげた戦争を許してしまったのです。

それゆえ、エネルギーや環境のシステムもこのようなエントロピーの増大に陥ることがあり得ます。あの戦争に見るように、人類はまだ古臭いシステムを保守することを優先し、エントロピーを最小にすることをためらっているからです。

まあ、いずれにせよ、これは無知で科学者のフリをしている人間の意見です。

カルツァからアインシュタインへのメッセ-ジ 

彼は、時空は5次元であるとしたらどうかとアインシュタインに提案しました。そのころアインシュタインは時空は4次元であるという考えをとなえていました。

アインシュタインは、通常の空間は3次元であると言いました。数学ではよくX,YそしてZ として表現されます。

そして、もう一次元追加されます。”時間”です。

ある日、ある無名の数学者がアインシュタインに論文を送ってきました。そこに示されていたのは、5次元でアインシュタインの一般相対性理論を表現すると、マクスウェルの電磁方程式が出てくるというものでした。

アインシュタインは、それで、この理論を発表するように進めました。後にカルツァ-クライン理論と呼ばれるようになる理論です。クラインはスウェ-デンの理論物理学者です。彼らが、その後、この理論を発展させました。

そうです、この時は、重力と電磁気の理論がとても親密になりつつありました。

しかしながら、それは、ぽっと燃え上がった小さな火がどうゆうわけか直ぐ消えるような感じになっていました。代わりに、量子力学が学者たちの注目を集めていました。ひも理論が登場するまでは、この、次元をさらに追加するというアイデアは冬眠状態となっていました。

今日、物理学は大変複雑になっていますが、私からみると、それは行き詰っているようにも見えます。いま、たぶん必要なのは、斬新で深く毒されていないアイデアでしょう。

今やコンピュ-タ-の基本中の基本になっている、ブ-ル代数で有名なジョ-ジ・ブ-ルの”思考の論理”のように、幾つかのアイデアが静かにたんたんと息づいていて、これが迷える現代物理学に救いとなるのかもしれません。

今日、私の話は短くて、短絡的なので、もし、物理学のプロの方がこれを読んだなら、私のことをほうっておいてください。私はたんなる素人で、SFをこよなく愛する、一般的なおっさんです。

最後に、ここに一言残しておかねばなりません。ウクライナの人々のために。
戦争をだれも止める事はできませんでしたが、我々は少なくとも、戦争をなくす方法を考え続けなければなりません。少なくとも言えるのは、何人かの人はこの状況を真剣に受け止めていて、平和的な世界を作るにはどうすればよいかを考えはじめているということです。

ソロモンの指輪 (コーンラッド ローレンツ), ウクライナ, ロシア そして世界秩序

その本のあとがきのところに、作者のローレンツ氏が、大量破壊兵器を持つようになった人類についての懸念を表明していたのを、なんとなく覚えています。

彼は動物行動学の学者です。
彼の懸念は、人類が大量破壊兵器の ” 力 ” を、オオカミのように、ちゃんと抑制的に使えるのかどうかということです。

オオカミは群れを作ります。そして群れのなかで時折、若いオスがリーダーに戦いを挑みます。しかし多くの場合、その若いオスはリーダーに取り押さえられます。
リーダーはその若いオスの首にかみつく寸前のところで鋭い牙を見せているあごを開けたまま止めて戦いを終わらせます。リーダーは、そこで首を噛んで殺すことはしません。

群れのメンバーを失うことは、群れで狩りをするオオカミにとって、戦力の減退を意味します。同時にしかし、群れの階層を一貫して維持する必要もあります。

ここで、もう一つ別のタイプの動物があります。鹿の一種(名前は・・・忘れました)で自然にいるときは群れを作らないタイプの鹿です。
それで、この鹿を何頭かフェンスで囲まれたところに入れると、あるオスが他の鹿をメスや小鹿も含め、角で殺し始めます。

自然の中では、この鹿は広範囲に分散していて、各個体間の距離が十分に保たれているため、食べ物をめぐっての競合が起きないようになっています。
ところが、この距離感が失われたとたん、食べ物をめぐる競合は避けられず、ゆえにオスが他の個体を殺し始めるのだと理由付けられています。

われわれ人類は他者を必要とします。もしこの上述のようなオオカミの考え方を我々に適用したら、ウクライナ戦争はどういう解釈になるでしょうか。

ロシアはこれまで、すべてのウクライナ人を殺してはいません、そして同時に、その力を誇示しています。これは、この状況は、オオカミのリーダーがやっていることと同じでしょうか。

いや、いや!全然違う!

オーケー!じゃ、もし、ロシアが巨大な軍隊を国境線上に張り付けてウクライナを脅すだけだったら戦争にはならなかっただろうか。オオカミのリーダーが牙をむいて、若いオスを威圧しつつ決して殺さずに群れの秩序を維持したのと同じように。

いいや、それも違う!

わかった、じゃ、ロシアがウクライナ人を皆殺しにすることで、争いの根を絶つことができたでしょうか。ローレンツ氏が例に挙げていたあの鹿の話のように。

もう、いいよ!たくさんだ!むりっ!おれってほんとバカ。

まず最初に、人類は、もはやそのような野生動物と同列に考えられない。
戦争というものは、もはや、グローバルな社会には適合しない。
もし、現在の人類の行動をローレンツ氏が動物行動学的な手法で分析したら、彼は、人類はいまや戦争を放棄したと言うでしょう。そして、人々を殺すことは、オオカミの牙や鹿の角と同じことではないと言うでしょう。

我々人類は、今や動物行動学では扱えなくなってしまった。

ローレンツ先生、戦争を完全に排除できる世界秩序の作り方を教えてください。我々はあなたのすばらしい研究の中に、その知恵を、どうしても見出すことが出来ませんでした。

戦争は犯罪です

今日も、科学についての話はできません。悲しいことに・・・

議論はさかんになされ、からみあい、そして未決のままです。

だれも戦争を止められませんでした。そして、みな彼は殺人犯だと言っています。

しかし、まてよ!ちょっと・・・

ふつう、理由は何であれ、殺人は犯罪です。明らかに。
しかし、戦争というのは、国家の名において殺人を犯すことだと思います。
どんな言い訳も認めるわけにはいかない。たとえそれが、国家によるものであっても。

日本もかつて、それをやってしまいました。(残念ですが・・・)しかし、いずれにせよ、いま日本は、戦争がいかに悪いものかを世界の人々に理解してもらおうとしています。それは、われわれは、学校や、社会全体、そして親からの教育によるところがあるからです。

21世紀になって、歴史や現代の豊かさなどについての教育が世界中に広がっている状況で、いまロシアがやっているような戦争はもう起きないと思っていました。少なくとも、わたしはそう信じていました。

とにかく、新しい平和維持のシステムを作れる可能性を日々考えたりしていますが、いつも自分の頭の中で、そのセオリーを確立できず、結局、”ムリ” と心の中でつぶやいて終わってしまいます。

ウクライナ、絶対的な人類の危機、それはロシアによって

今日はもう科学のとぼけた話はできなくなってしまった。9歳の少女が左手をうしなった。ロシア兵の銃弾を受けたからだ。全世界の大人たちはなにもできなかった。しかもなんとこの惨劇をもたらしているのは、なんのことはない、もうひとりのただの大人だ。

いかなる平和維持の仕組みも、もはや機能しないし、今後もそうだろう。彼女の左手はもとにはもどらない。彼女の左腕だけでなく、大勢のウクライナの人々の命が失われている。そして世界の大人たちは、これを呆然と見つめているだけだ。

わたしも、その大人の一人。妻は、私たちは弱すぎると言っていた。

人類にはスターウォーズに出てくるフォースのような、意識の力があるようにわたしは思う。たとえばもし、誰かが戦争には絶対反対という意思をもったならば、その意思は、スマホやインタネットなどなくても伝搬して世界中に広がるであろう。こんなのはバカげた発想だろうが、どうしようもなく、今私がとることができる唯一の方法だ。

ロシアの人たちに言います。あなた方のリーダーは、あなた方の目から真実を隠しています。彼が言っていることは全てうそです。彼は、人間ならだれもが持っている良心をきわめて恐れています。彼は、わかっているのです、いかにそれが力強いかを。その力がいったん解放されたら。人道的に見て、彼がいまやっていることはとても悪い事だということを彼はわかっています。だからこそ、彼は、彼の国民から真実を隠すことを必死にやっています。彼は覚えているのです、1991年のあのときのことを。国民の真の良心が勝ったときのことを。それはまさに、十字架を恐れるヴァンパイヤのようなものです。

恐れは憎しみとなり、憎しみは暴力へと落ちていきます。この負の繰り返しを止めることが出来るのは、彼にみなさんの良心を表すことしかありません。彼はみなさんのことを愛しています。彼は外国からではなく、彼自身の国民からの真の愛を必要としています。もし、大部分のロシアの人々が、”もうやめましょう、今すぐに”といえば、彼は戦争をやめるでしょう。さあ、みなさん、かれを強く抱きしめて彼に、良心をもって語り掛けてください。

どう見ても、このテキストメッセージがロシアの人々に届くことはないが、私には信じて疑わないことがある。それは、人類は、常になんらかの超越的な自然の力によって結びついていて、こうしてテキストをPC上にタイプすることで、その精神のエネルギーが私の意識のなかで具現化し、たぶん、どうにかして弱いながらもだれかほかの人に伝わって、それがさらに別の人へと伝搬の連鎖がおきれば、最終的には増幅していくのだと信じています。

独裁者を科学する

独裁者を科学的に考える。そんなことできるのだろうか。

今、ウクライナで起きていること、やっぱり、まずいと思う。
科学の話ではないからといってこの問題を考えないではいられない。そこで今回は、このブログの趣旨に合わせつつ、あの戦争について考えようということで、このようなタイトルでいきなり書き始めてしまった。
たまたまこのブログを読み始めてしまった人は、しばし、この強引なタイトルと、以下の、これまた強引な文脈にお付き合いください。

ロシアの人々で本当のことを知っている人、ウクライナの人々、そして世界の多くの国の人々が、「えっ!?、なにやってんの!」と、思っている。そしてたぶん、多くの人は、「彼を止めろ!」と言いたいんだと思う。

同僚のポーランド人は、「彼、頭おかしい・・・」と、言っている。また、彼の実家のお父さんは、避難してきたウクライナ人に家を使わせてあげようと言っているそうだ。

とにかく、彼はどう見ても独裁者。

しかし、たった一人、あるいはその取り巻きを含むごくわずかな人間たちごとき、なぜ止められないのか。何ゆえに、そういう人たちの存在が許されているのか。

アメリカのある機関が彼の心理状態の分析を進めているとの話がテレビのニュースで報道されているのを聞いた。もしかしたら、いわゆるクリミナル・プロファイリングみたいな感じのことをやっているのだろうか。クリミナル・プロファイリングとなると、心理学その他、色々な科学的手法を使って、その犯人像を表現していく過程のことだと理解している。(心理学は、立派な科学の一分野だと思う。)

もうひとつ考えたいのは、集団の心理。つまり今回の場合、独裁者に支配される側の心理だ。

ごく少数の人々だけが変なことやってるのであれば、「あんたらおかしいよ!」「うちら、そんなことやんないからね!」と、無視するか、みんなでそいつらを羽交い絞めにすればいいように思えるが、実際にはそうもいかない。私が例えばロシア国民で、何らかの手段で事実を知ったとしても、なにも言えずにいると思う。独裁者は怖い。

集団心理は、たぶん指数関数に支配されていて、一旦増殖のループに入ると、おいそれと止められないのではないかと思う。ある一人の考えが別の二人に影響し、その二人のおのおのが、またそれぞれに新たな二人に影響し、そのころ最初に考えを拡散させた人が、その考えが広がっているのを見て、またさらにそれを膨らませて拡散して、というふうに、ある種のフィードバックが起きてしまうと、一気に爆発的に集団心理が形成されてしまう。

かつてロシア(当時はまだソ連)では、ゴルバチョフがまだトップであり、エリツィンがすこし頭角を現しそうになっていた時に、軍事クーデターが起きたことがあったように記憶している。(1991年8月19日)その時、国民はこれに反対し、エリツィンがそれに呼応してクーデターを未遂に終わらせたという出来事があったと思う。

彼は、今、自国民に対して情報管制をやっているとの情報があるようだ。軍事侵攻開始前に兵士からスマートフォンを没収したとも言われている。(これはまあ、情報管制といっても、位置情報その他の漏洩を危惧してのことという可能性もある)。
彼は、集団心理が1991年8月のような作用をもたらさないようにしようとしているのであれば、それは軍事進攻前から考えていたことのようにも見える。

原子力発電所を攻撃したと言っているが、その攻撃の仕方も、原子炉そのものを傷つけないようにしていたようにも見える。ただしこれは、現場の司令官が冷静なだけかもしれない。

核の使用をほのめかしたという点については、「え?使うから抑止力なんじゃないのか?」と平然と考えている可能性がある。スターリンにも、人格よりも兵力・軍事力を評価していたと思えるようなエピソードがあるということを聞いたことがある。
彼もまたしかりかもしれない。

専門家の多くは、彼が冷静さを失っていて、それゆえ核の使用をほのめかしたりもしていて、危険な心理状態だといっているが、はたしてそうだろうか。なにやら妙に計算ずくでやっているように見えなくもない。もともとから国際世論の支持は得られないとわかっていて、支離滅裂な理由を言っては諸国を煙にまいて軍事行動は継続、ただ厄介なのは自国民なので、そこは情報管制をすることで、反対あっても賛成もあるような中和状態にしておく。こんなシナリオだったとしたら、彼は冷静さを失うどころか、着実に冷静に、駒を進めているということになってしまう。経済制裁にしても、
「ふふふ、思った通りだ」と考えているかもしれない。

そこで、科学的に彼の心理を分析できたら、上述のような迷いをもう少し払拭できるかもしれない。例えば素人考えだが、下の表のようなイメージで、事実の列挙とそのグループ化をしたものをAIに学習させ、そこから彼の今の心理状態を探るなんてことができるかもしれない。

事実や参照情報グループ
国民向けの情報を制限計画性
原発をできるだけ無傷で占拠計画性
SWIFTから締め出される事前認識
最初はウクライナ東部の親ロシア住民の保護が目的と言っていた臨機応変
「ウクライナの核開発を止めるために原発を攻撃した」と言い出す臨機応変
1991年8月19日のクーデターは国民により未遂に終わったトラウマ
彼は昔KGBで東ドイツにいてベルリンの壁崩壊の時には
屈辱を味わった
トラウマ
スピーチで嘘を言っている人物の声と表情の特長隠せない心理
最近の彼のスピーチの声と表情隠せない心理
第二次世界大戦のミュンヘン協定からポーランド侵攻までの流れ歴史は繰り返す
ミンスク合意・クリミア併合・今回の軍事行動歴史は繰り返す
事実や参照情報の列挙とそのグループ化(イメージ)

この彼のプロファイリングによって得られた何らかの論旨によって、彼の心理状態が分かれば、どうすれば彼を止められるかが分かるかもしれない。

いや結局のところ、彼の心理状態が分かっても、どうすれば彼を止めることができるかは分からないかもしれない。ただ、上のイメージのところで挙がっている、”1991年8月19日のクーデターは、国民により、未遂に終わった”ということと、”国民向けの情報を制限”と言うところから、彼が、国民あっての自分であることを認識していて、国民の反対が反体制方向の指数関数に転じてしまったときのことを警戒している可能性はあるように思う。そこでAIに、彼の心理を分析せよとするのではなく、どうやったら彼を止められるかを導出せよとすれば、もしかしたら何らかの方法を提示してくれるかもしれない。

しかしながら、仮にAIが、「国民の力が必要」とした場合でも、国民の力をどうやったら戦争中止に追い込む方向になるように、指数関数的に増殖させることができるのかは、AIだけでは答えが見つからないかもしれない。単にAIは、”SNSで拡散”とだけ言うかもしれない。そう言われても、相手は情報管制しているだけに、具体的にどうしていいか分からない。SNSなど無くても、何かもっと、人類あるいは人間がもつ意思の力を引き出す方法は無いものだろうか。そして、独裁者など、もともとから現れないような社会にできないものなのだろうか。

いろいろと書いたが、とにかく、子供が死んでいるとのことだ。すぐこれを止めるべきだが、我々は、あまりにも無力なのである。科学万能の考え方に批判的だったと言われるウイリアムブレイクさんなら、何と言っただろうか。苦想!

適者生存

今日は生物学方面に行きましょう。

恐竜は、その当時、適者であったはずだ。でも、あるときから生存できなくなってしまった。今では、巨大隕石が地球に落下したことによるというのが定説になりつつある。

ハーバート・スペンサーが提唱したこの適者生存というのは、その者が置かれている環境が安定していてこそ成り立つものなのだろう。

それでは、恐竜絶滅後に繁栄し始めた哺乳類は、これは、適者生存ということになるのだろうか。

彼らは子宮を持っていた。体が小さかった。雑食性だった。体温調節や新陳代謝の制御が高性能だった。などなど、巨大隕石落下後の状況を土台としてみれば、それは確かに適者生存、そして、適者であったはずの恐竜たちは、下剋上さながら、一気に絶滅確定種に転落。(恐竜の家族連れが居たと思うと・・・、ちょっと悲しい。現代でも戦争が起きるとこれと同じことが起きる。)

ここで、「これは適者生存と言うだけでは納得感が得られないと思う」などといったら、たぶん、「またぁ・・・、そんなこと言って・・・」と、酔っ払いの愚痴ををあしらうが如くの待遇を受けることだろう。

しかしそれでも、今日は、もうちょっとこれについて書いてみる。

哺乳類は、恐竜の足元で細々と暮らしてはいたものの、実は、生命体が持つ幾つかの問題を恐竜に先んじて克服していた、ということになるのではないだろうか。

卵を産んだなら、それをその場で守らなければならないが、子宮があるなら、自ら活動しつつ、例えば食物を探して移動しながらも、子供(卵)を守ることもできるわけであり、また、多少気温が下がっても、優秀な体温調節機能があるし、実際の所、巨大隕石が落下する前から、すでに恐竜は、哺乳類に完敗していたということが言える。

確かに、適者生存ということも重要な要素ではあるが、適応しすぎるのも問題であるということなのだろうか。哺乳類のこの勝利をなにか言葉で表すとしたら、克服というか、まあ、脱却、あるいは束縛からの解放、”自由力”の獲得、などなど、なんかそんな感じになるのではないかと思う。

もともと海水中にしかいなかった生命体が陸上へ上がっていった時も、海から与えられていた、あるいは海のシステムに大きく依存していたところを、海の機能をそのまま体内に取り込むあるいは獲得することで陸に上がれたのであって、それまで海に縛られていたその鎖を断ち切り、かつ、海に頼らなくても自立できるような、自由を獲得したという言い方をしてもいいのではないだろうか。

この自由を獲得した種というのは、場合によっては、それまでの世界・環境では負け組であったりすることも見逃せない。昔、ある人の本にこんな言葉が書いてあった。
”勝者はけして進化しない”。

結局のところ、勝ったつもりでも本当は勝ってなかったとか・・・。

誰が言ったか、”変化に適応したものが生き延びた”、という言い方があるようだが、まあ、これが、この議論に近いと言えば近いような気もするが、やはり、一旦適応してしまったら、その適応したことによる束縛が生まれるような気がする。やっぱり、”自由の獲得”あるいはそれに類する言い方・論理のほうがいいと思う。

・・・すんません、専門家の方、これは遊びです。

円周率 数の世界のふしぎちゃん

その子は、メソポタミアに文明があったころから、人間のそばにいた。

しかし、その本当の姿が見えるようになるまでは、結構時間がかかった。
古代エジプト人は、3.16として見ていたらしい。
でもいまは、3.14というのが、その子の姿だとして言われている。

まあ、ご存じの通り円周率ちゃんは、無限小数ってやつになっている。
確か、今でも世界のどこかのスーパーコンピューターで、その小数点以下の次の桁の値を割り出す活動をやっているのではないかと思う。

しかし、このふしぎちゃん、とんでもなくミステリアスなのである。

大体からして、単に、円の面積や円周を求めるだけではなく、それこそ、確率論や、物理学、その他もろもろというか、いろんなところに姿を現すが、その正体や真の意味を知ろうとすると、ようわからん・・・ということになる、なんだか座敷わらしのような不思議な子なのである。

しかも、みんなの人気者で、この子についてネット検索すると、そりゃもう、老いも若きも老若男女、おっさんからギャル?まで、といえば言い過ぎかもしれんが、とにかくいろんな話がわんさか出てくる。

アインシュタイン方程式にも、ガウス関数にも、そしてオイラーの公式とか。
ちなみに、ガウス関数には、もう一人別のふしぎちゃんがいる。自然対数の底こさんだ。まあ、自然対数の底こは、きょうはちょっとおいとこう。オイラーの公式にも、もうひとりいるんだよね、虚数単位くんが。

まあ、とにかく円周率ちゃんは、こんなにも楽しいふしぎーずで、きっと楽しいことだろう。

アインシュタインせんせー、あの方程式に、何気に円周率入れちゃってるけど、いいの?円周率って無限小数っすよ。

あー今日は、とっても口語口調で書いちゃったな・・・うまく英語で表現できんな・・・まいっか。

左上から、アインシュタイン方程式、ガウス分布、オイラーの公式

AIは、未知を既知にできる?

俺はAIには負けんぞ、AIなんて、どうってことない。といったところで、それが実際どういうものか、どういう原理になっているのか、よくわからない。

でも、あれって、既知の知識を入力してやって、そこから、まあ、無限級数が収束するように各種パラメーターを調整するような感じで、ある特定の意味のある論理に収束させるというものなのではないかと、勝手に思っている。

つまりは、既知の領域の外に出ることはできないのではないかと・・・・

例えば、その当時知られていた知識をAIにインプットして、万有引力を着想するようになるんだろうか、という疑問だ。

実験したら、光の速度は、その系の運動にかかわらず、いつも一定だった。という事実から、相対性理論を着想して、宇宙は空間の3次元に時間軸を加えた4次元であるという考え方を出力するようになるんだろうか。

っていうか、なんでいちいちAIにするのかな。まあ、AIの方がいい時もあると思うけど。

天気予報とか、あるいは関係するファクターが多すぎて、シュミレーションしようにも、数理モデルの構築すら、どうやったらいいか分からないときに、なんでもいいからAIにぶっこんでみるかぁ、とか、まあそんな感じの使い方なんだろうな。

ということで、そんなAIを開発・運用している人は、頭いいと思う。そして、人間はAIに負けることはなく、未知を既知に変える事ができるのは人間だけだ!と、いうふうにいきまいてみました。

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