空の景色と音楽 – どこから来るのか、精神の世界から? –

僕は音楽を、ある程度、理解できます。音楽を聴いていると、心の中で、ある特定の風景を思い起こさせてくれます。それらの関連性について誰かが教えてくれたわけではないですが。これはもうひとつの「Mary, The super scientist」なのでしょうか?つまり、天才科学者で生まれつき耳が聞こえない人が突然聴覚を得て音楽を聴いたら、その人は新しい知識の境地に目覚めるのでしょうか、それとも「ああ、これでしょ」とつぶやくだけなのでしょうか。

いずれにせよ、音楽を聴くときに感じるあの感覚に人を導く未知の何かが、宇宙のどこか、おそらく別の次元に、確実に存在すると僕は思います。その感覚は、後天的知識なしに、しかし、人々と共有できるものです。(好みの問題がありますが・・・)

いや、すんません、科学的なことに関連して物事を誇張してしまうという僕の悪い癖をちょっとやめますね、今回は。

下の写真・・・・、はい・・・、これを見ると、どんな音楽が思い浮かびますか?

近所の夕焼け空

写真にUFOやUAPが写っていないか探さないでください。
とにかく、僕にとってこの写真から聞こえてくる音楽は、Lindsey Stirling の「Elements」です。タイトルと実際の風景の間には何の関係もないようですけどね・・・。
https://www.youtube.com/watch?v=sf6LD2B_kDQ&pp=ygUYbHluZHN5IHN0ZXJsaW5nIEVsZW1lbnRz

で、つぎは・・・;

オフィスへの通勤途中の朝の道で、月と目が合った。

頭の中に歌が浮かんだ曲; Two Steps From Hell – “Friendship To Last”.
https://www.youtube.com/watch?v=Iu74pVYkhNI&pp=ygUSRnJpZW5kc2hpcCB0byBsYXN0

もうひとつ、 ドビュッシーの ”夢”
https://www.youtube.com/watch?v=_CUC2-S1NMI&pp=ygUTZGVidXNzeSBwaWFubyBEcmVhbQ%3D%3D

で、次のはどうでしょうか?

After rain.

んんん・・・・これは、バッハの – “Toccata and Fugue in D minor BWV 565”
この曲を聞いて、「だらりー、はなからぎゅうにゅう」と歌ってしまったご貴兄は、立派なおとっつぁん認定です。
https://www.youtube.com/watch?v=erXG9vnN-GI&pp=ygURdG9jY2F0YSBhbmQgZnVndWU%3D

あるいは、 Two Steps From Hell – “Wind Queen”かな・・・、まあ、僕の好みですが・・・
https://www.youtube.com/watch?v=ETju6vL4FyY&pp=ygUbV2luZCBRdWVlbiBUaG9tYXMgQmVyZ2Vyc2Vu

こちらはどうでしょう?


アバ の 「イーグル」です。写真では鷲は飛んでいませんが。おそらく、心が空を自然の力で飛んでいる何かと結びつけていたのでしょう。(なんか青白い光の点が見えるのはUFOではありません・・・念のため。)
https://www.youtube.com/watch?v=qdoSy4ROZpg&pp=ygUKQUJCQSBlYWdsZQ%3D%3D

Tokyo, Waterfront

これは、”シャ・リオン”.
歌っているのは河井英里さん、作曲は大島ミチルさんです。
この曲がどのように作られたのかという話も、けっこうおもしろいので、興味のあるかたは調べてみてください。
https://www.youtube.com/watch?v=OxVpZzF_o58&pp=ygUS44K344Oj44O744Oq44Kq44Oz

それでは、また、合いましょう。

曲のメロディーとコード(和音)進行  ーで、なぜか物理学の時間の概念ー

ドビュッシーの「夢」、ベートーベンの「月光」と「エリーゼのために」や、「Something I Feel Like a Motherless Child (Jazz Piano)」なんかの
メロディラインが好きです。

なぜこれらの非常に印象的で美しい、または「クールな」メロディーラインを識別できるのかについて長い間考えてきました。 メロディーは、それぞれが特定のリズム (長さ) で配列された複数の音符で構成されてます。 いくつかの音符が異なるリズムで配置されているのを聞いても、そのメロディーを識別することはできません。 あるいは、それらの音符がすべて同じ長さで異なるピッチに変更されると、やっぱりメロディーは違ってしまう。

おそらく、2番目の音が鳴り始めたときに、最初の音はまだ意識の中、または単に記憶の中で反響してるんでしょうか。 音が鳴り始めるたびに、過去の音との関係が現れ、消え去る過去と新たな現在との関係が特定のメロディーとなって意識されるのかも。

それを「反響」という言葉で表現したが、それは自分がメロディーの神秘に感じていることを正確に伝えていないような気がする。

下の音符は、Eマイナーという音階です。

 {
override Score.TimeSignature #'stencil = ##f
relative c' {
  clef treble key e minor time 7/4 e4^markup "E natural minor scale" fis g a b c d e d c b a g fis e2 clef bass key e minor
} }

下のリンク先で音が聞けますよ。

https://en.wikipedia.org/wiki/E_minor

ピアノの鍵盤で、最初の音、次に 2 番目、3番目、4番目 と続けて最後の音までたたくことを想像してください。 よく訓練された音楽家でなくても、特定の音階を特定したり、わずかな印象を得ることができるでしょう。 さて、次はGメジャー音階です。 Eマイナー音階で行ったように、同じことを想像してください。

  {
override Score.TimeSignature #'stencil = ##f
relative c'' {
  clef treble key g major time 7/4 g4 a b c d e fis g fis e d c b a g2
  clef bass key g major
} }

下のリンク先で音が聞けますよ。

https://en.wikipedia.org/wiki/G_major

この中には、Eマイナーと同じ音がいくつかありますが、全体の印象は異なります。 なので、ある特定のひとつの音階の中の個々の音の間の関係がポイントになるんでしょうか。

最初の音、次に 2 番目、そして 3 番目の音と続き、7 番目の音を鳴らすと、意識の中で、過去のすべての音は依然として 7 番目の音にある程度の影響を及ぼし、それによって聞こえたばかりの 7 番目の音の上に何かを重ね合わせ、7 番目の音になります。 特定の音階の音の 1 つとして、何かユニークなものとして。

では、物理学との関係は何でしょうか? そう、私のおかしなの幻想は言うのです。 アインシュタインの四次元理論における量子的粒子(四次元とは、空間の三次元に時間軸を加えたものを意味します)は音符のようなものかもしれません。 時間軸は四次元のひとつであるため、どんな粒子であっても、現在の姿は過去の影響を受け、 したがって、時間はデジタル システムのクロック パルスのように連続した単一時点であると”妄想”しちゃってます。 (あ、ごめんなさい、これは一種のいたずらです。)

なんで音楽にはメジャー(長音階)とマイナー(短音階)があるのじゃ?

長音階や和音は、ある種のポジティブな感情を表現します。
短音階や和音は、ある種のネガティブな感情を表現します。
たとえば、C と Cm を比較してみましょう。

C メジャー = C 下のリンク先で音を聞けます。

https://en.wikipedia.org/wiki/Major_chord

C マイナー = Cm 下のリンク先で音を聞けます。

https://en.wikipedia.org/wiki/Minor_chord

C ではある種の上げ調子な感じ、Cm ではテンション低めな、憂鬱な、または悲しいような感じでしょうか。

コード(和音)と音階は単に音符を組み合わせただけなので、無くなることはないですね。 そして、人間はたとえ幸福だけが広がる人生を達成したとしても、それらをメジャー(長音階)なのかマイナー(短音階)なのか識別することができるでしょう。 もし、そのようなマイナー的な感覚が人間にとって必要ないのであれば、いつか将来、人類が幸福だけが支配する文明を築き上げることに成功したとき、人間は短音階や和音を識別する能力を失う(退化する)ことになるでしょう。 わかりました? うーん、なんかおかしいぜ。
不幸が存在するとき、幸福も存在する。 ああ、なんかのことわざみたい。

なに、私は不幸が不可欠であると言っているのではなく、人間が無限の幸福状態になれるかどうか疑問に思っています。おそらく答えはNOです。 幸福な状態にあるときでも、人間は、短音階と和音で構成される音楽素材の「美しさ」を認識することができます。 したがって、必ずしも短音階や和音をそのような否定的なものと結びつける必要はないかもしれません。 マイナーは、ある種の不幸を表現することを目的とした歌や音楽を作曲するために時々適用されますが、結局、それらは単純に美しいものです。

コード(和音)と音階の、メジャーとマイナー

しかし、そうです、しかし、どうしても、メジャーもマイナーも存在するということの意味は、戦争と平和など、幸福な歴史と悲しい歴史がこれからも続いていくのではないかという思いを拭えないんです・・・・・。

メジャーとマイナーは、そのコード(和音)と音階で作曲された音楽を人間が聞いたときにどのように感じるかを分類したものです。 確かに人間の感情を理論化するのは非常に難しく、方程式のようなものは存在しません。 人間の行動は進化、つまり「適者生存」と結びつけられることが多く、 そして人間の意識は、その結果として人間を適者へと導く形で収束していくと言われています。 では、なぜマイナーは意識の一部として残るのでしょうか?

おそらく、マイナーという言葉は、悲しい恋物語、別れ、郷愁などを表現するのに使われるのでしょう。あるいは、遠い将来、人類はそのようなものを完全に排除できるようになり、マイナーは適者ではなくなるのでしょうか?

幸福だけが存在する。 そんなことできるんでしょうか?
それって虚無ということでは? 存在とはコントラストを意味します。
幸福は、不幸との対比。
いや、あるいは私の表現が間違っているかもしれません。
幸福はそれでいいが、その反対は何であるべきなのか。 幸せと”????”

さて、本題に戻りますが、 曲のメロディーとコード(和音)進行  ーで、なぜか物理学の時間の概念ー。 物理学で言えば、ネガティブとポジティブは電気のプラスとマイナスのようなものになります。 そこには、喜びや悲しみといったものを方向づけるベクトルがあるのだろうか、ないのだろうか。 しかし、音符やメロディーなどの特定の組み合わせにおける特定の一連の音は、過去から現在までの時間の広がりを超えて 4 次元の時間と空間全体で作用する量子のようなものになります。 しかし、物理学では、幸福と悲しみを区別する方法。 適者生存にヒントはあるのか? つまり、適者に導くことができるものは幸福を意味するのでしょうか? しかし、科学的または論理的な説明は見つかりませんが、私は「そうではない」と確信しています。
なんもわかってませんが・・・・・

何でもいいけど、まあ マイナーでもメジャーでも、音楽を通じて何かを感じられるというのは、きっとある種の幸せなことなんでしょう。 だから、ロケット弾の打ち上げをやめて、音楽を聴こうよ、そうすれば幸せがやって来るんじゃないのかな。

私たちは皆、非常に多くのネガティブなことにさらされています。 他人から批判される、価値がないとみなされる、上司から厳しい評価をうける、事業の失敗など、何でもあります。 あるいは、かつての恋人に別れを告げなければならないこともあります。 しかし、そのどれにもロケット弾で人を殺すような行為は存在しないことがわかります。 そして少なくとも、マイナーでもメジャーでも、自分にとって美しいと思えるお気に入りの音楽を聴くことができる、ほんの短いプライベートな時間を過ごすことができます。

ところで、アインシュタインの世界に量子を置くと音楽のメロディーのように見えるというのは、現代物理学におけるブレークスルーへの一種のヒントなのでしょうか?
(ごめんなさい、独り言です。)

最後に、もしよかったら、私のお気に入りの曲のひとつを聞いてください。