植物、花、五角形とその幾何学、そしてフィボナッチ数列

花や植物の幾何学について、本で読んだことがあります。 そこでは、その基本要素は五角形だと書かれていました。

数学の理論に出てくる有名なフィボナッチ数列が、その幾何学を支配しているのではないかと言われています。 とにかく、一見しただけでは、フィボナッチ数列と、植物や花の幾何学構造との関係を特定することはできませんが、それでも、それらがその形状を形成する特定のメカニズム、おそらく数学によって表現および/またはモデル化される何らかのメカニズムを持っているんだろうな、というふうには思います。

フィボナッチ数列(数値)の漸化式はつぎのようになっています。
F0=0、F1=1、および Fn=Fn-1+Fn-2 (n>1 の場合) つまり、
過去 (項: Fn-1+Fn-2) が現在 (項: Fn) に蓄積されます。
それは成長のメカニズムのひとつのように私には見えます。

また、注目すべき事実は、フィボナッチ数列が黄金比と一定の関係があることです。 美しい形をしたものには、大体において、その比率が見られます。

残念ながら、その数学がどのようにして五角形に到達するのかを理解することは私には不可能です。 (一部の学者や専門科学者によって十分に証明された特定の理論があるかもしれません)

それで、花の幾何学構造を見てみようと思い、近くの公園で見つけたいくつかの花の写真を撮りました。 そこにはいくつかの五角形が見つかるかもしれません。

桜:日本人は、この花が大好きです。 しかし、私たちがどんなに好きでも、私たちのほとんどは、言われなければ、その形と数学との神秘的な関係に気づくことはできません。 まっ、でも、お花見はできますが・・・。
これは――――まあ、はっぱが、縦に伸びた五角形に見えませんかねぇ・・・。 「花」にはフィボナッチの何かが含まれている気がします。
ツツジの花。 日本人は桜と同じようにこれも大好きです。
花の名前は分かりません。 写真では表現できないのですが、実際には蛍光を発していました。

「たんぽぽ」、今日は花と植物の幾何学についてです。 それで、そこにフィボナッチまたはペンタゴンを見つけることができますか?
この写真には五角形がいくつかあると思います。

それって、本当に環境に優しい、エコな機器?

最近、我が家のある機器がエラー状態の警報を発し、お風呂へのお湯張りができなくなりました。 エラーコードは、温度コントローラーが故障したことを示しています。
エコキュート:ヒートポンプ給湯機と呼ばれる機器です。

そこでメーカーのサービス窓口に連絡しました。 顧客サービス担当者によると、コントローラーの製造は長い間停止されており、そのためスペアパーツはもう入手できないとのことです。 (15年くらい前のものなので・・・・)

そこで私はサービスマンに「もっと基本的な修理は可能ですか?」と代替の温度制御装置を求めてさらに追及しようとしました。それは、私も技術者のはしくれであり、水の温度制御はそれほど難しいことではなく、テクノロジーと呼ぶならともかく、水の温度制御などは、今では非常に原始的で、単純にして、基礎的かつ成熟技術であることを理解しているからです。

代替部品を見つけてそれらを組み立てて同じ機能を実現することは、それほど難しいことではないと確信しています。 もちろん、現在のエコキュートに代替品を設置できるようにするには、いくつかの調整が必要です。 それは単なるエンジニアリングの問題です。 しかし、サービス担当者は「いえ、それは不可能です。システム全体を新しいものに交換する必要があります。」と無表情で言いました。

でも温度調節器! なんともシンプルな装置ですね! 代替デバイスが見つからないのはなぜですか? 基本的なエンジニアリング作業だけで元のシステムに適用できる代替手段が必ずあるはずです。 と主張したが、無駄だった――。

システム全体を交換するプロセス全体を通じて、どのくらいの CO2 が排出されるか。 温度コントローラーのみを修理または新しいコントローラーに交換した場合、大気中に放出される CO2 の量はどれくらいですか? その差は?。

思うに、前者の方が後者よりも多くの CO2 が放出されるようです。 このメーカーはサステナビリティをあまり実践していないのではないかと感じました。

まあ、そのメーカーは人材を維持し、業績を向上させる必要があるでしょう。 主に売上高と利益です。

私のエコキュートは、温度調節器を除いて、水タンク、キャビネット、配管、ポンプユニット、電気回路に関しては無傷です。
[温度コントローラー] < [丸ごと交換]、
CO2排出量の観点からはこうなってしまいます。

イノベーション、経済成長、経済規模の維持、新規生産の最小化、イノベーションの最大化。 最小限に抑えすぎると、社会が退屈または憂鬱な状態になり、イノベーションがなくなり、エントロピーが高くなる可能性があります。 しかし、「生産」が多すぎると、同様に高エントロピーを引き起こす可能性があります。 そして、ただモノを生み出すだけでは必ずしもイノベーションを意味しません。 同様の製品が長期間継続して生産されると、飽和状態と見なされます。 一種の高エントロピー状態。 ただし、脱炭素社会の観点からは温度調節器の交換・修理の方が評価されるべきですが、今回はユニットの全交換が評価されます。

なるほど、メーカーはこの2つのエコサイクルについては触れずに「補修部品が入手できる古い機種でなければ修理します」と言うのですね。 まず第一に、生態系(エコロジー)のサイクルは人間よりも先行していて、常に最優先されるべきです。 エコロジーはこれまでのすべての生物を創造してきました。 そして、人類文明の黎明期を経て、エコノミー(人間目線での)というものが到来しました。 そして両方の エコ にはそれぞれ独自のサイクルがあります。 メーカーが経済的に行うわずか数十年のサイクルは、かなり長い時間サイクルを持つ環境(エコろぎー)に優しいサイクルとは一致しません。

いずれにせよ、今後、双方の間でさらにバランスよく制御されたやり方を見つけることは可能でしょうか?

エコキュート、まあそういった機械。ユニットの製作には、科学技術の知識があれば、小さな工場で設計、製作、製造が可能ですが、全体のプロセスには非常に時間がかかります。 次に、大規模な生産を行うためには、工場を設立し、よく組織された人材、プロセスのエネルギー、部品生産の下請け業者、運送会社の助けなどが必要です。 大規模な生産が機能し始めると、おそらく実際よりも圧倒的に大量の、新しいユニットに対する継続的な需要を供給する必要があります。

部分的修理を続けながら新規生産を減らし、CO2排出量を大幅に削減することは可能でしょうか? おそらく、新しいユニットの生産を減らすことは、大規模生産を破壊することになるでしょう。 となると、修理と少数の新品生産だけでメーカーが成り立つかどうかがポイントとなるでしょう。 (大規模生産が始まった頃と比較すると、その数はかなり限られています。)

車って、 モデルチェンジが圧倒的に多い・・・。 毎日のことと言っても、それほど大袈裟な言いかたではないと思います。 自動車メーカーは、イノベーションの観点からは飽和状態にあり、CO2 が空中に漂っていることを十分に認識しながら、従業員の収入を維持し、株主に配当を提供する必要があります。

人類はこの矛盾を克服し、文明を非常に洗練されたバランスの取れた状態に導くことができるでしょうか? それとも、それは「文明の崩壊」の避けられない運命のようなものなのでしょうか?

ミラーニューロン。 それは意識や精神にとって重要な要素なのでしょうか、それとも単なる情報処理装置なのでしょうか?

ミラーニューロンというものについて聞いたことがあります。 私は、それは神経のしくみのことかも?と思いました。 ミラーニューロンは、「ミラー」という言葉が付くように、鏡のよな感じのものみたいですが、なにか独立した意思あるものが鏡に映る「反射」を見ると、その「反射」の存在がそのものの意識の形成にフィードバック効果を引き起こす・・・といった、まあ、わかったんだか分からないんだか、とにかくそうゆう機能のことのようです。

つまり、ミラーニューロンには文字通り反射される対象が必要です。 といっても、この”装置”は必ずしも本物の鏡であるわけではなく、それが対象とする外部の物体からのあらゆる刺激によって人間の意識(脳というより意識と言ったほうがいいでしょう)の中で形を成す”反射”のような知覚です。 例えば、人間のミラーニューロンは他の人間のような外部の対象を必要とします。

他者なしでは人間は自らを形成することはできない。ということをこのミラーニューロンの存在は示唆している。と私は思います。 ミラーニューロンのフィードバックプロセスを通じて形成される振り返りは常にポジティブなものではなく、時には憎しみ、怒り、悲しみ、喪失感などを伴います。 なんか、ヨーダがルーク・スカイウォーカーに言った言葉のように聞こえますね・・・・。

しかし、他者が存在する限り、私たちのミラーニューロンはポジティブかネガティブかに関係なく機能し続けます。

次に、戦争について考えてみましょう。 それは、他人とのフィードバックループを終わらせることを意味します。 そう思いませんか? もちろん、銃撃戦はフィードバックを交換しているように見えますが、戦争の最終目的地は他者を殲滅することであり、フィードバックを遮断することを意味します。
残っているのは積み重なった死体だけ・・・・。

ああ・・・、ごめんなさい、想像力が暴走してしまいました。

おそらく、誰もが自己を見ることに独自の問題を抱えており、時には否定的に、時には肯定的に自己を見てしまいます。 私は常に自分をポジティブに見ようと努めていますが、時々、自分をポジティブに見ようと無理をしすぎてしまい、ますますネガティブになってしまう状況に直面することがあります。 いずれにせよ、ポジティブ思考は人間をポジティブな姿勢に導き、能力を高めることは科学的にも証明されています。

ヨーダの弟子の一人、オビ=ワン・ケノービは「フォースを使え」と言ってました。 私はミラーニューロンがフォースだと言っているわけではないです。 それは私にとって単なる、たとえです。

ミラーニューロンは、神経科学の研究者にとってこれまでも、そしてこれからも課題であり、また、コンピューターサイエンスや生理学の研究などに利用されています。

ここでは、Mirror Neuron での私の印象に関する短いビデオ画像用の小さな SCRATCH プログラムを構築しました。(暇つぶしです・・・)

あけましておめでとうございます 2024😁!

Happy New Year 2024

たぶん、いま地球上のいくつかの場所ではすでに 2024 年になっていますが、まだ 2024 年になっていない場所もあるでしょう。 とにかく、私のいるところの時間での、 2024 年が始まる少し前に、このメッセージを WordPress で送信します。

戦争はなくならず、環境問題もあいかわらず、私たちの文明の洗練度を低下させるあらゆるものがそこら中に漂っていますが、この小さなサイバーワールドでブログを読むことで、少なくとも私は前向きになれます。

2023 年の私の私生活はそれほど輝かしいものではなく、むしろ教訓の塊でした。 物事をポジティブかつクリエイティブな方法で考える機会を与えてくれたすべてのブログに感謝します。

そして2024年、またまたみんなのブログを楽しみにしています。

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曲のメロディーとコード(和音)進行  ーで、なぜか物理学の時間の概念ー

ドビュッシーの「夢」、ベートーベンの「月光」と「エリーゼのために」や、「Something I Feel Like a Motherless Child (Jazz Piano)」なんかの
メロディラインが好きです。

なぜこれらの非常に印象的で美しい、または「クールな」メロディーラインを識別できるのかについて長い間考えてきました。 メロディーは、それぞれが特定のリズム (長さ) で配列された複数の音符で構成されてます。 いくつかの音符が異なるリズムで配置されているのを聞いても、そのメロディーを識別することはできません。 あるいは、それらの音符がすべて同じ長さで異なるピッチに変更されると、やっぱりメロディーは違ってしまう。

おそらく、2番目の音が鳴り始めたときに、最初の音はまだ意識の中、または単に記憶の中で反響してるんでしょうか。 音が鳴り始めるたびに、過去の音との関係が現れ、消え去る過去と新たな現在との関係が特定のメロディーとなって意識されるのかも。

それを「反響」という言葉で表現したが、それは自分がメロディーの神秘に感じていることを正確に伝えていないような気がする。

下の音符は、Eマイナーという音階です。

 {
override Score.TimeSignature #'stencil = ##f
relative c' {
  clef treble key e minor time 7/4 e4^markup "E natural minor scale" fis g a b c d e d c b a g fis e2 clef bass key e minor
} }

下のリンク先で音が聞けますよ。

https://en.wikipedia.org/wiki/E_minor

ピアノの鍵盤で、最初の音、次に 2 番目、3番目、4番目 と続けて最後の音までたたくことを想像してください。 よく訓練された音楽家でなくても、特定の音階を特定したり、わずかな印象を得ることができるでしょう。 さて、次はGメジャー音階です。 Eマイナー音階で行ったように、同じことを想像してください。

  {
override Score.TimeSignature #'stencil = ##f
relative c'' {
  clef treble key g major time 7/4 g4 a b c d e fis g fis e d c b a g2
  clef bass key g major
} }

下のリンク先で音が聞けますよ。

https://en.wikipedia.org/wiki/G_major

この中には、Eマイナーと同じ音がいくつかありますが、全体の印象は異なります。 なので、ある特定のひとつの音階の中の個々の音の間の関係がポイントになるんでしょうか。

最初の音、次に 2 番目、そして 3 番目の音と続き、7 番目の音を鳴らすと、意識の中で、過去のすべての音は依然として 7 番目の音にある程度の影響を及ぼし、それによって聞こえたばかりの 7 番目の音の上に何かを重ね合わせ、7 番目の音になります。 特定の音階の音の 1 つとして、何かユニークなものとして。

では、物理学との関係は何でしょうか? そう、私のおかしなの幻想は言うのです。 アインシュタインの四次元理論における量子的粒子(四次元とは、空間の三次元に時間軸を加えたものを意味します)は音符のようなものかもしれません。 時間軸は四次元のひとつであるため、どんな粒子であっても、現在の姿は過去の影響を受け、 したがって、時間はデジタル システムのクロック パルスのように連続した単一時点であると”妄想”しちゃってます。 (あ、ごめんなさい、これは一種のいたずらです。)

なんで音楽にはメジャー(長音階)とマイナー(短音階)があるのじゃ?

長音階や和音は、ある種のポジティブな感情を表現します。
短音階や和音は、ある種のネガティブな感情を表現します。
たとえば、C と Cm を比較してみましょう。

C メジャー = C 下のリンク先で音を聞けます。

https://en.wikipedia.org/wiki/Major_chord

C マイナー = Cm 下のリンク先で音を聞けます。

https://en.wikipedia.org/wiki/Minor_chord

C ではある種の上げ調子な感じ、Cm ではテンション低めな、憂鬱な、または悲しいような感じでしょうか。

コード(和音)と音階は単に音符を組み合わせただけなので、無くなることはないですね。 そして、人間はたとえ幸福だけが広がる人生を達成したとしても、それらをメジャー(長音階)なのかマイナー(短音階)なのか識別することができるでしょう。 もし、そのようなマイナー的な感覚が人間にとって必要ないのであれば、いつか将来、人類が幸福だけが支配する文明を築き上げることに成功したとき、人間は短音階や和音を識別する能力を失う(退化する)ことになるでしょう。 わかりました? うーん、なんかおかしいぜ。
不幸が存在するとき、幸福も存在する。 ああ、なんかのことわざみたい。

なに、私は不幸が不可欠であると言っているのではなく、人間が無限の幸福状態になれるかどうか疑問に思っています。おそらく答えはNOです。 幸福な状態にあるときでも、人間は、短音階と和音で構成される音楽素材の「美しさ」を認識することができます。 したがって、必ずしも短音階や和音をそのような否定的なものと結びつける必要はないかもしれません。 マイナーは、ある種の不幸を表現することを目的とした歌や音楽を作曲するために時々適用されますが、結局、それらは単純に美しいものです。

コード(和音)と音階の、メジャーとマイナー

しかし、そうです、しかし、どうしても、メジャーもマイナーも存在するということの意味は、戦争と平和など、幸福な歴史と悲しい歴史がこれからも続いていくのではないかという思いを拭えないんです・・・・・。

メジャーとマイナーは、そのコード(和音)と音階で作曲された音楽を人間が聞いたときにどのように感じるかを分類したものです。 確かに人間の感情を理論化するのは非常に難しく、方程式のようなものは存在しません。 人間の行動は進化、つまり「適者生存」と結びつけられることが多く、 そして人間の意識は、その結果として人間を適者へと導く形で収束していくと言われています。 では、なぜマイナーは意識の一部として残るのでしょうか?

おそらく、マイナーという言葉は、悲しい恋物語、別れ、郷愁などを表現するのに使われるのでしょう。あるいは、遠い将来、人類はそのようなものを完全に排除できるようになり、マイナーは適者ではなくなるのでしょうか?

幸福だけが存在する。 そんなことできるんでしょうか?
それって虚無ということでは? 存在とはコントラストを意味します。
幸福は、不幸との対比。
いや、あるいは私の表現が間違っているかもしれません。
幸福はそれでいいが、その反対は何であるべきなのか。 幸せと”????”

さて、本題に戻りますが、 曲のメロディーとコード(和音)進行  ーで、なぜか物理学の時間の概念ー。 物理学で言えば、ネガティブとポジティブは電気のプラスとマイナスのようなものになります。 そこには、喜びや悲しみといったものを方向づけるベクトルがあるのだろうか、ないのだろうか。 しかし、音符やメロディーなどの特定の組み合わせにおける特定の一連の音は、過去から現在までの時間の広がりを超えて 4 次元の時間と空間全体で作用する量子のようなものになります。 しかし、物理学では、幸福と悲しみを区別する方法。 適者生存にヒントはあるのか? つまり、適者に導くことができるものは幸福を意味するのでしょうか? しかし、科学的または論理的な説明は見つかりませんが、私は「そうではない」と確信しています。
なんもわかってませんが・・・・・

何でもいいけど、まあ マイナーでもメジャーでも、音楽を通じて何かを感じられるというのは、きっとある種の幸せなことなんでしょう。 だから、ロケット弾の打ち上げをやめて、音楽を聴こうよ、そうすれば幸せがやって来るんじゃないのかな。

私たちは皆、非常に多くのネガティブなことにさらされています。 他人から批判される、価値がないとみなされる、上司から厳しい評価をうける、事業の失敗など、何でもあります。 あるいは、かつての恋人に別れを告げなければならないこともあります。 しかし、そのどれにもロケット弾で人を殺すような行為は存在しないことがわかります。 そして少なくとも、マイナーでもメジャーでも、自分にとって美しいと思えるお気に入りの音楽を聴くことができる、ほんの短いプライベートな時間を過ごすことができます。

ところで、アインシュタインの世界に量子を置くと音楽のメロディーのように見えるというのは、現代物理学におけるブレークスルーへの一種のヒントなのでしょうか?
(ごめんなさい、独り言です。)

最後に、もしよかったら、私のお気に入りの曲のひとつを聞いてください。

Scratch – プログラミングやアルゴリズムなどの学習材料 –

今回は、科学に関するこの独り言を「Scratch」プログラミングの話でお送りします。 あなたの周りに科学に興味のある子供たちがいるなら、プログラミングに興味を持つでしょう。このScratchの主催者が紹介しているように、それは一種の教育ツールです。

また、私にとってプログラミングは食事の準備に似ています。 「プログラム」を組んでいるときは、意識が穏やかで静かでありながらもエネルギーに湧いていて、創作意欲旺盛になります。 そして何よりも素晴らしいのは、日常生活、特に仕事のイライラなどのネガティブなものをしばらくの間、忘れていられます。(まあ、あとでおもいだすのではありますが・・・)

以下は、ぜんぜん素人レベルですが、エントロピーの何たるかを視覚化しようとした
プログラムです。 まず、下のグラフィック画像をクリックしてください。 次に、現れたScratch画面のグラフィック画像の中央または左上の緑の旗をクリックすると、プログラムが起動します。 (左上の緑の旗のとなりの赤いボタンをクリックするとプログラムが停止します) 緑の旗をクリックしたら、ボールが動き始めるまでしばらく(5秒)待ちます。 その後、ボールがランダムに移動して幾何学的配置が乱れ(エントロピーが増大)、各ボールの上にマウスを置くと原点に戻り、元の整然とした状態に戻りますが、再び乱れが始まります。 秩序を取り戻そうとする努力で、画面上では何度も秩序を回復させることができますが、あなたの体からの熱放射、つまりマウスをクリックする筋肉によって生成される熱の形で全宇宙の総エントロピー(無秩序)を増加させています。 ……Scratch画面の右側のテキストボックスに記載されている指示に従ってください。

次は物理の基本的な事柄を表現するプログラムです。 地球の重力下でボール(質量)を垂直に投げたときの動きと、地面で跳ね返り、跳ね返りによってエネルギーを失うことで動きが弱くなっていく様子を表します。 プログラムでは、画面に表示される指示に従ってください。 たとえば「重力を適用しない」を選択すると、ボールは空に飛んでいったきりになります。 エネルギー損失を適用しない場合、プログラムを停止するまでボールは弾み続けます。 (赤いボタンをクリックするとプログラムが停止します)

次回は、—–いつになるか分かりませんが、とにかく放物線運動に挑戦したいと思っています。 Scratchプログラミングは、視覚的かつ直観的にプログラムを構築できるプラットフォームを提供します。 以下はプラットフォームのグラフィックイメージです。 子供にとっては、論理的思考やアルゴリズムの構築を練習するのに最適だと思います。

プログラミングを体験することで、
いま物議をかもし出しているAIについて考える。

そして、今、話題のAI。 私はAIを「知性」などとは考えていません。
むしろ、単なるビッグデータ処理装置として考えるべきだと思っています。
「プログラミング」とは何なのかを体験することで、人間と機械との境界線をどう定めるかについて考えるきっかけになるのではないかと、素人ながらに思っています。

組み合わせ爆発

「組み合わせ爆発」というものを考えています。 この用語は数学かコンピュータサイエンスで使われるやつですが・・・。 まあ、ちょっと、この言葉を、なにもしらないところで、想像を勝手に膨らませてみました。

1000000枚のスペードのエースの中の、1枚のハートのエース

人間が未来や未体験を予測するとき、その起こりうる組み合わせは絞り込むことができます。 自然は決して物事をシミュレーション(予測)することはなく、人間に有利かどうかにかかわらず、とにかく時間の経過とともにあるべき世界を構築しているだけです。 それとも自然には、ある種のアルゴリズムがあるのでしょうか? そうであれば、組み合わせ爆発は決して起こることはなく、 常に絶対的な単一の組み合わせのみが得られるはずです。 しかし、実際はそうではありません。 なぜなら、私たちの知識(つまり組み合わせを考えているもの)が完璧ではなく、一方で、たぶん、自然は完璧だからです。 ボルツマン先生はかつて、自然は常に最も確率の高い状態に向かって進んでいくと言いました。 スペードのエース 1000,000 枚とハートのエース 1 枚だけが入った 1 つの袋からカードを1枚取り出すことを考えてみましょう。 そしてハートのエースを拾う確率を考えてみましょう。 もし奇跡的にハートのエースを拾えたら、確率は関係ありません。 ある程度の確率が存在する限り、確率がどれほど小さくても、必ずそれは起こるということでしょう。

発生するイベントに応じて、組み合わせは変化し続ける。

円周率の無限に続く桁の値やこれに類するもの。このようなランダムなものが予測不可能の要素となり、組み合わせ爆発の原因となる場合があるかもしれません。 ある出来事があり、それに続いて別の出来事が起き・・・・というサイクルが続きます。 つまり、個々の出来事が全体の最終的な目的地を決定することになります。

それって、あの懐かしのマーフィーの法則の話みたいやん 

もし時間が無限であるなら(エントロピーの法則はさておき)、ハートのエースのように、どんな小さな可能性もその無限の時間のどこにでも必ず存在するはずで、エントロピーが最も低いため、それは常にすべての始まりとなる。
そして、時間は無限であるため(もしそうなら)、不確定性原理のように始まりがいつ始まるかを誰も特定できません。 それゆえ、自然の流れはいつも、確率の低いものから高いものへと段階的に整然としているはずです。 この点において、確率がどれほど低くても、いずれにしてもそれは起こるはずだということです。要は、組み合わせは、できるだけ元素レベル、つまり素粒子で考えることです。 ハートのエースのはなしは、時間や出来事の順序についてはまったく触れていません。 それぞれの出来事は、後につづく出来事に影響を与えます。
なんか、はちゃめちゃになってきた。
彼が「私はひどく間違っていた・・・」と言って、2023年6月末までに、あの戦争のをやめる可能性はあるでしょうか? たとえそうしたとしても、世界は彼を決して許さないので、おそらく確率は不可能として計算されるとおもいますが・・・。 いずれにせよ、この問題は科学では決して解決できません。

まさに組み合わせ爆発

エネルギー、環境、食料供給、人口動態など、数多くのややこしい問題が浮上し、世界は組み合わせ爆発の状態に入っているのでしょうか? 確率は素粒子の時空の範囲内にあるので、私たちの世界と人生は絶対に唯一のものであるが、別の時空間のセットは無数に存在する、と私は限りなく自信を持って考えています。(あーいうてもた)

今回は「組み合わせ爆発」というお題に挑戦してみました。 その結果、私の思考の組み合わせが爆発したので、この時点でそれについて考えるのをやめたほうがよいようです。

AI と洞窟の生命体

彼らは洞窟で奇妙な魚を見つけました。 その魚には目がないのです。 科学者らは、洞窟内には光がなく、視覚が必要ないため、洞窟での長期間の生活により視覚が奪われたと考えました。

近い将来、人類はAIのために、章を書く能力を失うでしょう。

AI(人工知能)。 それは洞窟の中の魚のように意識の闇をもたらすとはおもいませんか?
小説や詩などもやがてAIによって作られるようになるでしょう。
そうなると、誰も小説家や詩人になりたがらないようになるでしょうか?
というのは、生身の人間がそれらを書いているという事実を知ることによって、
人は、自分も作家になりたいと思うようになるからです。

ほぼ AI によって支配された世界は、人間に何か新しくてより良いものをもたらすのでしょうか、それとも単に悪い退化や退行をもたらすのでしょうか?
いわゆる人工的なものはどの程度まで開発されるべきでしょうか?

シーシュポスは石を運ぶという労苦を放棄し、人工シーシュポスにその仕事を任せるかもしれないですね。

行き過ぎた人工的なものは、心と精神、そして最も重要なことに感情の欠如につながります。

快楽は人間にとって良いものです。すくなくとも、それが危険なドラッグによって与えられたものでない限り。 そんな悪いものによって与えられる快楽を「人工快楽」と呼んでもいいでしょうか?

実用的なAIの出現により、人間の定義はますます難しくなってきています。つまり、人間とは一体何を意味するのでしょうか?
まあしかし、極論ばかりいっていてもしょうがないので、ここらへんでもうその話はやめたほうがよさそうです。

私は洞窟の中の魚のようになりたくない。 どんなに不器用でも、人間の意味を見極められる範囲で、自分の能力を使いこなしていきたい。

なお、この話はAIの価値に納得していない不条理な男の嘆きと呟きに過ぎません。

より洗練されたバランスの文明について

持続可能性と開発。 これらは私にはやや矛盾しているように聞こえます。
何かを開発するとはエントロピーが発生することを意味します。
したがって、持続可能な開発とは、開発によるエントロピーを私たちからできるだけ遠ざけることを意味します。
ここでは、自称アマチュア科学者が、実際の専門家によってすでに十分に述べられているかもしれないことを、知ったかぶりして偉そうにつぶやきます。 とにかく、どこか無知でありながら学ぶことに熱心な無法者のたわごとです。
(でも暇つぶしにはなるかも・・・・)

いま世の中にあるものは全て必要?

現在利用できるものはすべて本当に必要ですか? やや具体的な例として、たばこは必要ですか?
しかし、たばこは経済の一定の部分を構成し、たばこ経済は必要なものを必要とする人々を支えているため、たばこは必要なのです。
このロジックは完璧ですか? では、
たばこが不要とみなされて完全に禁止され、たばこ経済に支えられている人々が完全に絶滅した場合はどうなるでしょうか。 それらの人々が現代の通信ネットワークの消費者である場合、このかなりの消費者ブロックを失った場合、必要なものの1つである現代の通信ネットワークは絶滅の危機に瀕します。
このシナリオはありえますか?
このようなドミノ効果こそが、洗練されたバランスのとれた文明の確立を考える私のポイントです。 CO2排出量を最小化するために特定の経済ブロックを削除する必要がある場合、それにともなって他の経済ブロックを維持できますか?

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お互いにフィードバック効果; 技術、経済、人材

もちろん、CO2排出源であるエネルギーなどの工業化されたシステムを、CO2排出量がゼロの新しいシステムに完全に置き換えれば、そのような懸念は完全に解消されます。 しかし、それは本当に可能ですか?
より洗練されたバランスが求められるほど、より多くの人員が必要になり、それによってエントロピー成長の別の段階が引き起こされる可能性があります.
消費の合理化が求められるほど、経済の脆弱性が問題になる可能性があります。
上記の 2 つはフィードバック ループにある可能性があります。 労働力が動員されればされるほど、バランスの脆弱性はさらに拡大します。
これは、経済の合理化と脆弱性の場合にも当てはまります。 もちろん、洗練されたものは豪華なものと同義ではありません。 しかし、合理化は本当に革新的でしょうか? やっぱり量が大事じゃないですか? そうでなければ、質素倹約は、洗練・文明または革新を圧倒するのではないでしょうか?
持続可能性のために革新を諦めざるを得ないのであれば、私たちは皆、単純に原始的で、時代遅れで、原始的な生活に戻るよう駆り立てられてしまうでしょう。

量が重要なのか?

量が重要なんですか? しかし、知識は洗練性と文明にとって不可欠なツールであり、知識は多様性の雰囲気の中で育まれます。 多様性には十分な量、つまり大量のものが必要です。 という発想になるのでしょうか?

特定の仕事は別の特定の仕事を必要とする

想像してみましょう。私たちは今、原始的な生活を送っています。
そしていま、ある一人の子供が、現代の世界であれば通常は簡単に治る病気にかかっているとします。
現在、私たちはその病気についての知識を持っていますが、それを治すための施設はもはや利用できず、そのため子供はそれで亡くなったとします。

新形コロナの場合、ウイルスとは何か、ウイルスを緩和する方法、ワクチンの製造方法に関する知識が既にあったため、ワクチンは非常に迅速に開発されました。 もちろん、知識だけでなく、設備、エネルギー、マンパワーも必要でした。
さらに、明らかに、Covid-19 のようなものが現れないそれまでの日常でも、これらのことは待機モードにしておく必要があります。
医薬品などの業界は、インフラストラクチャと経済を、質素倹約のために、必要に応じて十分に最小化および縮小しながら、新型コロナのような状況に常に備えているレベルに保つことができるでしょうか?

当初、人間は、人間の余剰食糧供給を与える農業を導入し始めました。 余剰はさらに、純粋に食料を得るもの以外にその活動を拡大する機会を人間に与えました。 それはその後、人間の生存をさらに強化し、同時に反環境副産物のような、かなり厄介なものを生み出しました。

物事を機能させるための最小事項に対する人口の最小値

今日のテーマに戻り、バランスのとれた文明がどのように成り立つか見てみましょう。
強化された生存には知識が必要です。 必要なときにいつでも知識を実践するには、十分な施設をいつでも準備OKにしておくことが必要です。
そうした施設には、大量のエネルギーを発生させる十分に成長した経済が必要です。
エネルギーは反環境放出を引き起こすエントロピーを生成します。
文明のレベルをより高いレベルに保ちながら、どのようにして反環境排出量を絶対に無害と評価できるレベルまで最小限に抑えることができるでしょうか。
システムの構造を維持する必要があります。 そのうえで、単純に量を減らす必要があります。 別の言い方をすれば、量を減らしながら質を保つということです。
どうやって?
量となると、人口はどうですか?

最も重要なのは人口?

「人口」という言葉がふと頭に浮かびました。 人口を制御して創造と保全のバランスをとるのに最適な状態にするために、産児数制限システムがオプションになります。
出生数コントロール?
はい出生数コントロール!
しかし、どうやって!?
ああ、そんな難しい質問を押し付けないでください!
ともかく、これでどうだ。
たとえば、政府が、全人口をほぼ一定に保つ方法で選ばれた一部の人々に出生権チケットを発行した場合はどうなるでしょうか。 もちろん、事情を考慮して計算する必要があります。 量、知識、洗練、革新、文明、多様性、そして最低限必要な経済の量。
でも、出生数コントロール? 選ばれた人だけ?
おそらく、誰もが自分の子供を持つ権利があると主張して、反対する人もいるでしょう。
それで、政府はその反対に対する措置を導入するでしょう。
この措置では、その政府の出産プログラムを通じて生まれたすべての赤ちゃんが、特定の家族に属さないように公的機関によって育てられ、教育されます。 赤ちゃんは生まれてすぐ、親から離され、家族の痕跡を残しません。
うぅぅぅ、これは人間的に正しいですか?
その論理がどれほど合理的であっても、私にはやや間違っているように見えます。

グレタ・トゥーンベリさんと彼女のヨット

彼女のヨットはニューヨークへ向かいました。 ヨットには、帆船の時代にはなかった通信装置や発電装置が搭載されていました。 彼女のヨットは、エントロピーの増加を最小限に抑える方法で、創造と保存のバランスを何らかの形で表しているということです。 搭載された電気通信と電力システムのおかげで、彼女は危険な海域を安全に航行することができましたが、同時に太陽の光、海の潮流、自然の風などのエネルギー源を最小限の排出量で海域を通過することができました。
いずれにせよ、その非常に強化された船体はおそらく繊維強化プラスチックでできており、これは別の多様な技術の導入が必要であり、それによって非常に多くのエネルギー、経済、したがってかなりの量の何かを消費する可能性があります。
ここで、量が再び重要になるでしょうか?
とにかく、私自身もバランスの取れた文明のアイデアに触発されているので、
彼女のヨットのアイデアはメッセージとして高く評価できます.。そして、それと同時に、難しさも暗示しているのではないでしょうか。

半導体を作るために必要なものは? 薬づくりに必要なものは? 食べ物作りに欠かせないものとは?

半導体には、 シリコン、その他の金属、エネルギー、化学薬品、クリーンルーム、
工場、それを設計、調達、製造する人々などが必要。
こうした素材や設備の多様性を考えると、やはり「量が一番大事」なのでは?
最低限必要な量は、人間が必要と考える品質で決定されます。 量が最も優先される要素である場合、それは質を表します。
人間が決して「偽りの贅沢」をあきらめずに、同時に自然と文明のベストバランスを保つことができるでしょうか。 「偽りのぜいたくう? いやぁ、 真の贅沢とは、美しい自然に囲まれて心安らぐことだと思います。

将来は楽観的か悲観的か?

彼らは、世界の人口は将来減少に転じるかもしれないと言います。 もしそうなら、当然のことながら、文明の質はこれまでで最高に高度に洗練されている一方で、物事を持続可能なレベルに保つことができる方法で文明の量は抑制されます。
しかし、人類が現在経験しているエントロピーの速度と世界人口の減少率を比較すると、それでは遅すぎるかもしれません。 また、経済成長の在り方にも注意が必要です。 私はそれを実際に説明することはできませんが、もっと精神的なものであるべきだと思います。
ああ、私は怖いです。 私はそんな難しいことを話せる専門家ではありません。 世の中の誰もが幸せを求めていますが、幸せを実現する方法はかなり偏っていることもありますが、私は人間を信頼したいと思っています。

怠け者アリとピアニストのエクスタシー

かつて私は怠け者アリでした。
名前もIDも与えられていませんでしたが、私は十分な食べ物を与えられていました。
彼らは働いていました。 私は働いていませんでした。
彼らは私を養っていました。
私のようなアリがたくさんいました。
「怠け者」という言葉をどうやって知ったかというと、
かつて私に餌を与えてくれたアリが「あなたはまったく働いていないことを知っています、あなたはいわゆる怠け者アリです」と言ったからです。
ある日、私は仕事にのめり込まんとする突然のセンセーションにおそわれました。 理由はわかりませんが、とにかく私は今働いていて、別の怠け者アリに餌を与えています。

数年前、私はあるニュース記事で「怠け者アリ」に関する短い記事を読みました。
それで、この話を人間に例えてみようと思いました。

Lazy ants make themselves useful in unexpected ways

https://www.sciencedaily.com/releases/2017/09/170908205356.htm

その記事には、科学者が怠け者アリが実際に存在することを発見したということが書かれていて、彼らは他の働きアリ(ちゃんと働いている)によって養われていることを発見したとしていました。 結局のところ科学者たちは、これらの怠け者アリは一種の予備であると結論付けていました。

したがって、何らかの理由で労働力が失われると、怠け者アリはすぐに働くアリに変わると記事は説明していました。

申し訳ありませんが、これはその記事についての私の不明確な記憶に過ぎないため、正確に知りたい場合やさらに深く知りたい場合は、専門家にきいてくださいね。

まあ、それで、とにかく続けますね・・・

私は当初、怠け者アリは DNA の多様性を維持するためのものだと思っていました。
十分な DNA 多様性に必要なアリの個体数が狩猟採集に必要な個体数よりも多く、さらに働きアリがそれらの休眠中のアリに与えるのに十分な食料を集めることができる場合、システムは機能します。
とにかく、まあ、彼らは予備の労働力です。 ということで、それは非常に単純な解釈であり、同時に、首尾一貫した論理です。

では、この仕組みは人間社会に適用できるのでしょうか?
もしそうなら、ずっと怠け者でいたいな・・・。
(またそんなこと言って・・・と皆さんから怒られそう。)
ポイントは「いつまでも」という言葉でしょうか。 永遠に続くものは何もないですね・・・。
それに、考えるべきは、 怠け者アリがすぐに大きな労働力に変わるというメカニズムです。

ほんの数人しか生産的に働いていない会社に怠け者従業員がたくさんいて、突然それらの生産的に働いている従業員が別の会社に移動したと仮定すると、それらの怠け者従業員はすぐに生産的な労働力に変わることができるでしょうか?

もちろん無理です! 彼らは、通常、厳しい労働生活を通じて達成される十分に育まれたスキルを持っていません。 アリの場合、スキルはおそらく彼らの DNA にあります。

では、熟練労働者を失うといったリスクをどのようにヘッジできるのでしょうか?
予備なし、スペアなし、スタンバイなし。
おい!おまえさんらお偉方が自分で働きゃいいだろう!

ああ、悪い言葉を使ってはいけませんな・・・。
とにかく、でも、 ポイントは仕事への気概ですね。 会社に貢献したいという強い精神を持ち、献身的な決意を持っている人は、その会社を離れることはありません。

アリには気概といったような精神はないのでしょう、たぶん。 精神はシステムの一部ではありません。 DNAはシステムの一部です。 そしてアリの場合、働くアリも怠け者アリも一種の消耗品なんでしょうね。

共産主義、資本主義、社会主義、腐敗ー主義、どんな主義にも精神が含まれていると思います。

「働く」とは?
炭鉱から地下水を汲み上げるという重労働に、自らの筋肉でポンプ装置を動かして耐えてきた人が、ある日、ポンプ装置を動かす蒸気機関を発明したと想像してみてください。
つまり、この話の要点は次の質問です。
そんな骨の折れる重労働から逃れ、怠け者になるために、彼は蒸気機関のアイデアを思いついたのでしょうか?

おそらく彼は、初期モデルよりもエネルギー効率が高く、より強力な別の新しいマシンを発明するために、さらに多大な努力をするでしょう.
あるいは、彼は、過去の成功にあぐらをかいている腐敗した王朝の貴族のように、本当に怠け者になるかもしれません。

いま一度想像してみてください。ここに、ピアニストになりたい女の子がいます。
彼女はその後、コンピューター科学者である恋人に、ピアニストになりたいので、ピアノを弾く練習に「一生懸命取り組んでいる」と話しました。
すると恋人は言いました。 恋人よ、そんな「非効率な努力」をする必要はありません。 私はコンピューター化されたシステムでピアノ制御プログラムを構築できるので、あなたあるいは他の人が作曲したかどうかに関係なく、どんな曲でもピアノの音で演奏できます。 ピアノを弾くために厳しいレッスンに耐える必要はありません。
彼女は顔をしかめ、つぶやきました。
”あなたは、私が本当に何をもとめているのか、わかってないのね・・・”
…….彼女は彼から永遠に去りました。 “さようなら!”

彼女が望んでいることは単純です。
彼女は、彼女と彼女の聴衆が音楽で力を与えられた感覚を共有できる時間と空間の中で具体化された何かを作りたいと思っています。そして今、彼女が肉体、神経、知性、意識、そしてこれまでの途方もない努力の記憶などによって、実際に直接ピアノを弾いているという事実は、その感覚をさらに高め、一種のエクスタシー(恍惚状態)となっていきます。

Imagin, she and her audiences are in a state of ecstasy.

あれ?今日のテーマはなんだったっけ?
だから、そうそう怠け者アリ。
ピアニストの彼女は、貪欲な会社の偉い人や堕落した貴族にはなりたくなく、ただ努力さえすればいいのです。 彼女の努力は怠け者になるためのものではなく、 ハードワーク自体が目的なのです。

では、その怠け者アリは、怠け者であることにそれほどのエクスタシーを感じることができるでしょうか。
それとも、怠け者アリにとっては、ワーカホリックのアリに変身した後もエクスタシーのようなものは何もないのでしょうか、 そして、アリの群れが繁栄するのを感じたとき、女王と王子だけがエクスタシーの感覚を得るのでしょうか。
現時点では、私はわかりませんし、想像することさえできません。
人間の場合、それぞれが独自の個性を持っているため、ひましている人間はアリのようにすぐに交換することはできないため、予備のようなものはないかもしれません。

アリにとって、そんな「怠け者」という表現は絶対に合わないですね。 人間の場合、エクスタシーは有名なKnowledge Argumentの議論に当てはまるかもしれません。

Knowledge Argument

https://en.wikipedia.org/wiki/Knowledge_argument