生きてるものは、なんかすごい!

そこで見つけた。

そう。

最強にして、全て、全体、あるいは単一の存在を象徴する。

テナガエビ。


彼女?それとも彼?近くの川で見つけた。
魂を宿すものには、つまり基本的に人間に相当するものに通常使われる表現を使いたい。



だから、私はそのテナガエビを、親から独立して独り立ちを始めた10代の少年として見ています。
写真の右上の部分(青いまる)は、彼の脱皮のあとですが、分かりますか?


彼は今、革命的な何かを体験したんですね。

とにかく、その形、佇まい、そして模様は、とてもきれいです。
ユークリッド幾何学のように直線で表現されているのではなく、定規やコンパスを使わずに現代美術家が描いたもののようであり、しかしながら、数学的法則の存在を感じさせます。






ここで、また別のものを見つけました。


赤手ガニ

がんばってるね!

アカハナガニをそこに残して、スズキが3匹いるのが見えました。
昨晩の雨で残された残骸が川面に浮かび、獲物を探すオオカミの群れのように、スズキたちがうろついていました。

この世界は生命体で満ち溢れている。どうしてこれが絶滅するのだろう?

料理レポートに挑戦!

なんてこった!でも大丈夫!WordPress は見た目以外、その本当の味を伝えることはできないもん!

冷蔵庫の中に、材料が待っていました。
神様は言いました。「それを素晴らしいものに変えなさい!」
私は言いました。「ひょえー!でも、どうやって?」
神様は答えました。「わしもわからん」


とにかく、私は致命的な空腹状態のため、このトワイライトゾーンへと踏み込みました。

これって科学?

ビタミンを摂らないといけないんだけど、野菜にも含まれてるものがあるんだよね。
それで、冷凍野菜を買った。
冷凍? 以前、野菜を冷凍するとビタミンのほとんどが失われるって、食品科学者が言ってたのを思い出した。
いいよ!とにかく腹へってるし。


特別にレシピはない。材料を全部鍋に入れて、適量の水で煮るだけ。
材料:グリーンピース、ゆで大豆、赤ピーマン、緑ピーマン、黄ピーマン、ソーセージ、カリフラワー、ブロッコリー、ニンジン、インゲン豆。

それから、フォールトマト投入。まるで火山の溶岩のよう。


作ってる人間が、経験も技術も無く、綿密な計画も練っていないことを考えると、この見た目は悪くないと思う。科学的に言えば、一種の大胆症候群みたいなものかもしれない。

調味料はどうする?
ええ、塩分は体に良くない。コショウは、アレルギー反応を刺激する作用があるかもしれん。醤油!これも塩分になる。それから砂糖?砂糖で甘くするのは好きじゃない。


やったぁ、神様!これだ!
——-。少なくとも味はともかく、空腹を満たすことができた。
現実を見ると、妻がいつも家族のために作ってくれていた料理が恋しくなる。
彼女は料理の天才だ。例えば、テレビの料理番組を見ると、すぐにレシピを真似して、とても美味しい料理を作ることができる。

サンプル情報がなくても、彼女は持ち前のセンスで素晴らしい作品を生み出せる。

ああ、そういえば妻が「塩抜きは心と身体の健康に良くない」って言って、調味料を入れていたのを覚えてる。ま、そりゃそうだ。

料理の腕を磨く前に、写真の腕を磨かなければなりません。

さて、会社の経営戦略(いわゆる旧態依然としたリストラ策ですね)により、私は家族と離れて、故郷から遠い場所に転勤して、こうして一人あそびやってます。

思うに・・・葉っぱは命の象徴?

かつて、臨死体験に関する本を読んだことがあります。
そのような体験をしたという人は、よく花のこと、あるいは花に囲まれていることについて触れます。
しかし、葉については何も触れられていないようです。

おそらく、葉は、人間の脳や神秘的なシステムの中では、超越的なもので、「私たちの次元」、つまり生命体が超自然的な精神と融合し、生命にとって反機能的なエントロピーと戦う一種の空間に関連付けられている。

したがって、魂が空間を離れてそこ(不明)に戻るとき、次の状態遷移の象徴である花が見えるんでしょうか?

そんな大げさなこといっちまって・・・・どうすんの?!

ま。とにかく、葉っぱの写真です。

こうして、絵の枠に収まることで、植物は私たちに生命について何かを語り始める。
私の場合、常に光合成を思います。そこでエネルギーが生み出されています。
葉が枯れていくと、赤くなったり枯れたりします。しかし、何らかの微生物によって、次の緑の葉の材料として蘇ります。(いや、蘇るわけではない。次の葉は新しい葉だから。でも、人間の意識が葉から得る効果は同じです。その効果自体が蘇る、ということでしょうか?)
また、それは人間の意識の中に生命のイメージを残します。
またちょっと、派手な言い方になっちまいました!

花のように美しいと思います。特に、その幾何学・・・

葉っぱの多様性!

何かに抗って、生きる!みんなと同じように!

ここで、2曲。

おっさんが葉に向かってこんなことを言うと、かなり不気味な感じがするので、もう言うのやめますね。
いずれにせよ、私は英語のネイティブではないので、ネイティブの人には恋人同士の言葉として聞こえないかもしれません。

これって、葉っぱですかねぇ?

形、その幾何学的な・・・、スゲーーーーーーー

藤の花

桜の季節が過ぎると、藤の季節がやってきます。
今年はもう過ぎてしまいました。上の写真は数週間前に撮ったものです。

同じ気候条件なのに、なぜ花は同時に咲かないのでしょうか?例えば、桜と藤はなぜ同じ時期に咲かないのでしょうか?

たぶん・・・・・・・

> 蜜蜂は、そんなに沢山、対応できない? お-い、ハッチ! どうした?!
> 生化学システムの違いと気候との関係が原因?!?
> そんなの花の勝手でしょ。
> 昔、別の太陽系から地球に降り立った二人の科学者が、将来地球に知性が出現した時に、その知性をさらに刺激できるように、これらの花を作り出した。
> 神のみぞ知る。

植物の謎の一つは、花が咲く理由でしょう。
もちろん、現代の科学者の中にはこう言う人もいるでしょう。
「利己的な遺伝子のせいだ」

つぎは別の花です。


名前は知らないけど、その鮮やかなディープパープルになんとなく感動しました。
そうそう、「ディープパープル」って書いてたら「スモーク・オン・ザ・ウォーター」を思い出しました。
ところで、花を咲かせるエネルギーは太陽から来るって覚えておいてくださいね。

他にも紫色があります。
背景の緑も忘れないでください。それが基本です。

物質は意識を刺激する何かに変えられます。
何が?変えられるって?何によって!?フィードバックの一種かい!?
はい!(誰がそんなことを言ったのですか!)人間が現在確立した理論が完璧である限り、どんなフィードバックにも初期条件が必要。
では、花と、人間の意識の場合、初期条件はどうだったでしょうか?もしかしたら、理論には何らかの不完全さが残っているのかもしれません。

いずれにせよ、花は人間によって、ある種の美しさや特別なものとして見られています。

月の下の木の葉 空から覗く月

青い空から顔を覗かせる月。 青い光線の成分は地球の大気圏で選択的に散乱されます。 そのため、月を取り囲む宇宙空間の暗闇は、澄み切った青に覆われているのです。

そう、各波長の屈折率の違いにより選択的に透過するからです。

そして、葉が景色を彩ります。
この季節は緑、そうです、澄んだ鮮やかな緑色です。その薄い空間は、まさに化学工場、あるいは量子反応工場のようです。そこでは、太陽光、二酸化炭素、水といった材料からデンプンが合成されています。

エメラルドグリーン!きれいです!でも生きている!光合成!その仕組みは科学者にとって未だ謎。あっちゃ-!人間は最近、ぶきっちょなメタネーションという哀れな機械を発明してしまった。残念……


花は葉から進化したと言われています。おそらく、この花がその進化の過程を物語っているのでしょう。

幾何学的でありながらランダム!精神の自由さがありながら科学的な視点も持ち合わせているような・・・・・・。

片方は地面に、もう片方は深い藪の中にいます。
どちらにとっても、太陽の光は確かにEquityであり、日本のこの土地の自然の中で、共にInclusionな存在です。
Equityとは、他者に強制的に共有されるものではなく、Inclusionな環境の中で自ら獲得されるものです。これは私の個人的な解釈ですが。
ですから、もし誰かが平等の獲得を妨害しようとして、環境を奪おうとしているのであれば、私たちはそのような状況と戦わなければなりません。しかし、私には立ち上がる勇気がありません。
代わりに、ブログに私の意見を書いています。
科学的に言えば、自然はDEIを選択しました。

さて、葉っぱの写真に戻りましょう。

最後のはそれほど印象的ではありませんが、ほんの数種類の葉っぱからでも、DEIの中に自然がいかに長く存在してきたかが分かります。

おっと!ごめんなさい。月が、私が葉っぱばかり見ていることに文句を言ってます。宇宙は惑星や衛星の模様が多種多様だって言ってる!(すんません、単なるイメ-ジです)

桜に囲まれた日本の古城

私は日本人ですが、その歴史を詳しく説明することはできません。
歴史の授業中、居眠りをしていたからです。

今は年を取り、怠惰な学歴を後悔しながら、有名な城、姫路城を訪れました。

素晴らしい一日でした。私自身、自国の歴史を尊重する意識を高めている私にとって、神様がこのような素晴らしい日をくれたのかもしれません。

とにかく、あの歴史の授業がどれだけ眠かったか、一生忘れられない・・・
(神様、ごめんなさい)

多くの自称アマチュア科学者の一人として、侍の時代、確かな論理に基づき、現代科学を一切使わずにこのような素晴らしい城を建設するために適用された技術は美しいと言わせていただきます。

世界文化遺産として、多くの外国人観光客が訪れています。
姫路城のある姫路市も良い場所です。
日本に行く予定があるなら、姫路城は選択肢の一つになると思います。

最後の写真は、城の庭で見つけた花です。

この色は土から来たのでしょうか?太陽に反応しているのでしょうか?

数ヶ月前だったでしょうか、これついて書いたのは。
上のアイキャッチ画像は、最近見つけた花です。
写真であれ、実際に自然の中で見たものであれ、あのような美しい色を見るといつも疑問が湧きます。茶色い土からどうやってあの色ができるのでしょうか?いずれにせよ、土、植物、太陽の光、空気、水などが化学反応を起こしてできた色であることは明らかです。

そして、私たちはそれを美しいと感じます。

美しい?

「美しい」とは何でしょう?

人間はどのようにしてその感覚をすべての人々と共有しているのでしょうか。想像してみてください!

Hej! 日本のIKEAで

さて、今回のお話は科学とかそういう話ではありません。

日本のIKEAに行ってきました。

デンマークに出張したのは20年以上前のことでした。
そこで昼食を食べたのですが、今になってその時食べたものを思い出しました。
IKEAはスウェーデン発祥で、ブッフェスタイルのフードコートがあります。
メニューのほとんどはスウェーデン料理で、私の記憶ではデンマークの料理に似ています。

その日、ちょうど一週間前、私は妻と一緒にIKEAを訪れました。長年勤めている会社の工場に転勤することになり、平日に数日の休暇を取ることができたからです。その工場は私の家から離れた場所にあるため、家族を残して行かなければなりません。

そこで妻は、「わかった、ここにいる間に、IKEA に中古の家具を持っていくのを手伝って。IKEA が買い取ってくれるよ」と言いました。
「平日の IKEA は、家具を求める人が殺到したり大挙したりするほどではないので、ウィンドウ ショッピングにはちょうどいいかもしれないね。」
(週末の IKEA は、まるでレミングスだ!)

それで、IKEAのビュッフェでお昼をたべました。

私のトレーを見て、妻は言いました。
「あんた、そんないっぱいとってどうすんの!どうしてそんなに食べるの?遠くに行くことになるから、生き残りの資源としてお腹の周りに脂肪を蓄えようとしてるの?」
私は、「問題ない」とだけ答えました。

その大きなお昼を食べながら、結婚する前に妻とデートしていたときのかすかな記憶が頭に浮かびました。(結婚後、夫婦の典型的で世界標準の現実が、すぐに支配的になったのですが・・・。)

アイキャッチ写真は、現在入居している場所で撮影したものです。新居で頑張って働きながら、また戻れるように新たなキャリアのチャンスを探しています。とはいえ、日本では私の年齢で転職活動するのはなかなか大変ですが・・・・・。

Diversity, Equity and Inclusion; それって必然?

そうだと思います。なぜなら、利己的な傾向があると言われる DNA は、画一的なものを選ばなかったから・・・・。

もちろん、シアノバクテリアはかつて、かなり画一的な世界を築き上げました。(あくまで私の理解ですが)しかし、現在、地球上には数百、数千、数十億の種が存在する、多様な状態です。

DNA は多様性を選択しました。そして、公平性と包括性は、生命体というシステムそのものに組み込まれています。彼らは皆、食物連鎖のように、何らかの形で自分たちの命を共有することができます。

Photo by Google DeepMind on Pexels.com

エントロピーは別の要素です。エントロピーのおかげで、すべてが永遠に静止することはなく、均一性は継続的に多様性へと伝播します。
おっと!それは逆のように聞こえますか?エントロピーは物事を均一にしますよね?
わかりました!しかし、均一とは一体何なのか考えてみましょう。均一とは完全な秩序を意味します。まったく静的な状態であり、始まりにすぎません。必ずしも「何もない」という意味ではありません。
意識、心、精神など、何であれ存在する限り、おそらく、そう、おそらく、多様性とエントロピーの戦いは続くかもしれませんよね?(ああ、そんなばかげたことを言わないで!)

とにかく、その概念を放棄しようとしているもの、ある人間、組織、何であれ、それは恐竜の大量絶滅の現代版となるでしょう。

その周辺では別の種である哺乳類が生き残り、DNAも残りました。

当時の哺乳類は多数派ではなかった。多数派の立場をとることは必ずしも繁栄したり優れていることを意味するわけではない。

あーーーーー、今年2025年のブログ第1号は、いつもの私らしく大げさな言い方で始まってしまいましたが。笑
まあ、こんな話、もっと正確に詳しく研究している人たちが、世界中に沢山いますし、そうした人たちの本もたくさん出ています。

とりあえず。遅い挨拶ですが、あけましておめでとうございます。

明けの明星

蝶々夫人?

これは無意識の偏見かもしれません。しかし、最初にそれを目にしたとき、その言葉が浮かび上がってきて、そのイメージで頭がいっぱいになってしまいました。
これらの写真は、今年の夏が終盤に差し掛かったときに撮影しました。オスかメスかはわからないのですが、私の心の中にマダムという言葉が浮かんでしまっていました。

それはオスの蝶かもしれないですが、その場合、どのように表現すればよいだろうか?
いずれにせよ、オスかメスかに関係なく、それは美しくて、見事なものでした。

わかりますでしょうか。あの空色の模様、背中の深い青色、そして黒い背景。

科学に関することを少し考えてみると、このような美しい生命体がどのようにして生まれたのか、まさに私が提起したい疑問です。
そして、なぜ私たちはそれを美しいと感じるのでしょうか?それは私たちの生存と何か関係があるのでしょうか?
そうですね、——-美しい蝶を追っていくと、蜜を含む花が見つかる可能性が高くなります。—- うーん、それは絶対に無理!