怠け者アリとピアニストのエクスタシー

かつて私は怠け者アリでした。
名前もIDも与えられていませんでしたが、私は十分な食べ物を与えられていました。
彼らは働いていました。 私は働いていませんでした。
彼らは私を養っていました。
私のようなアリがたくさんいました。
「怠け者」という言葉をどうやって知ったかというと、
かつて私に餌を与えてくれたアリが「あなたはまったく働いていないことを知っています、あなたはいわゆる怠け者アリです」と言ったからです。
ある日、私は仕事にのめり込まんとする突然のセンセーションにおそわれました。 理由はわかりませんが、とにかく私は今働いていて、別の怠け者アリに餌を与えています。

数年前、私はあるニュース記事で「怠け者アリ」に関する短い記事を読みました。
それで、この話を人間に例えてみようと思いました。

Lazy ants make themselves useful in unexpected ways

https://www.sciencedaily.com/releases/2017/09/170908205356.htm

その記事には、科学者が怠け者アリが実際に存在することを発見したということが書かれていて、彼らは他の働きアリ(ちゃんと働いている)によって養われていることを発見したとしていました。 結局のところ科学者たちは、これらの怠け者アリは一種の予備であると結論付けていました。

したがって、何らかの理由で労働力が失われると、怠け者アリはすぐに働くアリに変わると記事は説明していました。

申し訳ありませんが、これはその記事についての私の不明確な記憶に過ぎないため、正確に知りたい場合やさらに深く知りたい場合は、専門家にきいてくださいね。

まあ、それで、とにかく続けますね・・・

私は当初、怠け者アリは DNA の多様性を維持するためのものだと思っていました。
十分な DNA 多様性に必要なアリの個体数が狩猟採集に必要な個体数よりも多く、さらに働きアリがそれらの休眠中のアリに与えるのに十分な食料を集めることができる場合、システムは機能します。
とにかく、まあ、彼らは予備の労働力です。 ということで、それは非常に単純な解釈であり、同時に、首尾一貫した論理です。

では、この仕組みは人間社会に適用できるのでしょうか?
もしそうなら、ずっと怠け者でいたいな・・・。
(またそんなこと言って・・・と皆さんから怒られそう。)
ポイントは「いつまでも」という言葉でしょうか。 永遠に続くものは何もないですね・・・。
それに、考えるべきは、 怠け者アリがすぐに大きな労働力に変わるというメカニズムです。

ほんの数人しか生産的に働いていない会社に怠け者従業員がたくさんいて、突然それらの生産的に働いている従業員が別の会社に移動したと仮定すると、それらの怠け者従業員はすぐに生産的な労働力に変わることができるでしょうか?

もちろん無理です! 彼らは、通常、厳しい労働生活を通じて達成される十分に育まれたスキルを持っていません。 アリの場合、スキルはおそらく彼らの DNA にあります。

では、熟練労働者を失うといったリスクをどのようにヘッジできるのでしょうか?
予備なし、スペアなし、スタンバイなし。
おい!おまえさんらお偉方が自分で働きゃいいだろう!

ああ、悪い言葉を使ってはいけませんな・・・。
とにかく、でも、 ポイントは仕事への気概ですね。 会社に貢献したいという強い精神を持ち、献身的な決意を持っている人は、その会社を離れることはありません。

アリには気概といったような精神はないのでしょう、たぶん。 精神はシステムの一部ではありません。 DNAはシステムの一部です。 そしてアリの場合、働くアリも怠け者アリも一種の消耗品なんでしょうね。

共産主義、資本主義、社会主義、腐敗ー主義、どんな主義にも精神が含まれていると思います。

「働く」とは?
炭鉱から地下水を汲み上げるという重労働に、自らの筋肉でポンプ装置を動かして耐えてきた人が、ある日、ポンプ装置を動かす蒸気機関を発明したと想像してみてください。
つまり、この話の要点は次の質問です。
そんな骨の折れる重労働から逃れ、怠け者になるために、彼は蒸気機関のアイデアを思いついたのでしょうか?

おそらく彼は、初期モデルよりもエネルギー効率が高く、より強力な別の新しいマシンを発明するために、さらに多大な努力をするでしょう.
あるいは、彼は、過去の成功にあぐらをかいている腐敗した王朝の貴族のように、本当に怠け者になるかもしれません。

いま一度想像してみてください。ここに、ピアニストになりたい女の子がいます。
彼女はその後、コンピューター科学者である恋人に、ピアニストになりたいので、ピアノを弾く練習に「一生懸命取り組んでいる」と話しました。
すると恋人は言いました。 恋人よ、そんな「非効率な努力」をする必要はありません。 私はコンピューター化されたシステムでピアノ制御プログラムを構築できるので、あなたあるいは他の人が作曲したかどうかに関係なく、どんな曲でもピアノの音で演奏できます。 ピアノを弾くために厳しいレッスンに耐える必要はありません。
彼女は顔をしかめ、つぶやきました。
”あなたは、私が本当に何をもとめているのか、わかってないのね・・・”
…….彼女は彼から永遠に去りました。 “さようなら!”

彼女が望んでいることは単純です。
彼女は、彼女と彼女の聴衆が音楽で力を与えられた感覚を共有できる時間と空間の中で具体化された何かを作りたいと思っています。そして今、彼女が肉体、神経、知性、意識、そしてこれまでの途方もない努力の記憶などによって、実際に直接ピアノを弾いているという事実は、その感覚をさらに高め、一種のエクスタシー(恍惚状態)となっていきます。

Imagin, she and her audiences are in a state of ecstasy.

あれ?今日のテーマはなんだったっけ?
だから、そうそう怠け者アリ。
ピアニストの彼女は、貪欲な会社の偉い人や堕落した貴族にはなりたくなく、ただ努力さえすればいいのです。 彼女の努力は怠け者になるためのものではなく、 ハードワーク自体が目的なのです。

では、その怠け者アリは、怠け者であることにそれほどのエクスタシーを感じることができるでしょうか。
それとも、怠け者アリにとっては、ワーカホリックのアリに変身した後もエクスタシーのようなものは何もないのでしょうか、 そして、アリの群れが繁栄するのを感じたとき、女王と王子だけがエクスタシーの感覚を得るのでしょうか。
現時点では、私はわかりませんし、想像することさえできません。
人間の場合、それぞれが独自の個性を持っているため、ひましている人間はアリのようにすぐに交換することはできないため、予備のようなものはないかもしれません。

アリにとって、そんな「怠け者」という表現は絶対に合わないですね。 人間の場合、エクスタシーは有名なKnowledge Argumentの議論に当てはまるかもしれません。

Knowledge Argument

https://en.wikipedia.org/wiki/Knowledge_argument

中国で発見された謎のシンクホール(陥没孔) – – – それって失われた世界?

小学生の頃、あの有名な小説「失われた世界」を読みました。 南米の高原では、1900年代初頭に、恐竜が歩き回る失われた世代の生物学的環境系が発見されました。 それがその小説の全体的な風景です。 その高原は、進化の流れから、そこの生物学的環境を完全に隔離しています。 (この小説が書かれた当時、人類はまだ隕石衝突のことなど頭になかった。)
当時の私のような子供たちにとって、この背景設定は科学的でどこか現実的なものに見えましたが、同時にフィクションであることも十分に認識していました。

それから約50年後、もっとリアルな「ロストワールド」に出会いました。

それは、シンクホール(陥没孔)と言われるものです。

シンクホール(陥没孔)とは? ウィキペディアでチェック

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%AB

中国で最近発見された陥没孔は、進化または環境変化からの隔離場所として何らかの形で機能してきたため、生物系の失われた世代をある程度保持している可能性があります。 ——— 一部の Web 記事はそう述べています。

そして、そこでは、太古の森林が発見されたのです。

それで、ご存知のように、これらの記事を読んで「The Lost World」を思い出しました。
私が十分に成熟した大人であると言えるなら(本当に?)、このニュースはその小説の現代の大人バージョンになる可能性があります.。まあ、そこに保存されている失われた世界のほとんどが、動物ではなく植物になることは察しがつきますが・・・・。

ああ、地球上のどこかに、恐竜がまだ生きたまま保存されている場所があるはずだと思います. (—-酔っ払った時だけ)

過去をある程度保持する、孤立した環境

落ち着こう、そして、このあほな発想を、”おとな”思考しよう。

世界一深い湖、バイカル湖(最大水深1,642メートル)。 その深部は、理想的な保存施設です。 当然のことながら、そのような場所では地上の動物が生きていることは決して許されません。 しかし、恐竜の皮膚や肉の一部のようなものは、科学的な目的にかなう程度のレベルで保存されている可能性があります。

そうすると、バイカル湖が理想的な場所なら、海もまた理想的な場所ではないかと・・・。

それならば、学者や知識を求める億万長者の間で運動を起こしましょう。
運動の内容は・・・・、マリアナ海溝やバイカル湖などの深海底(湖底)を発掘調査だ!。
かつては地面と考えられていたバイカルの湖底には、古代の生物システムに関する貴重な知識の宝物が保存されている可能性があります。 というわけで、ホルマリン漬けのような保存状態の良い恐竜が見つかるのではないかと思います。
恐竜のロストワールド漬け!

まずい・・・酔ったかな?

最先端の技術をもってしても、マリアナ海溝の最深部やバイカル湖の最深部を発掘調査することは不可能です。—– ふつうに考えたら。
可能だと言える人がいるなら、それを実行して、ナショナル ジオグラフィックに記事を載せるなど、よく知られている方法で結果を教えてください。 それともすでに行われていますか?

まあ、なんでもいいけど、結局それって、失われた世界そのものずばりではない。  残念。

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そう、私たちの DNA には、DNA のシンクホールまたは高原が見つかります。 忘れ去られた祖先のデータバンク。

恐竜を復活させることはできますか? あの現代小説や映画のように。

おそらく、人間を含むいくつかの現代の生命体の DNA に、「失われた世界」または、DNA の進化的突然変異によって引き起こされる変化から十分に分離された、一種の高原または陥没孔を見つけることができるかもしれません。 そして、いくつかの生命体からDNAのそれらの部分を集めることによって、レゴブロックを組み立てるように、別の生命体に組み立てることができる部品のセットを得るかもしれません。
それは、いくつかの現代の言語から言葉の起源をさかのぼって古代言語を解読するようなものです。 古代言語の単語や文法などは、歴史の中で散逸し、いくつかの言語に隠されている可能性があります。
例えば;ティラノザウルス の背骨構造に関する情報を含む DNA の断片を持っている鳥がいる場合。 次に、特定の爬虫類のDNAにティラノザウルスの内臓のデータがある場合。 そして、一部の魚が ティラノザウルスの 〇〇〇 の DNA 情報の断片を維持してきたとします。

要は、かつて繁栄していた生命体の一部となり得る特定のDNAブロックをどのように区別し、それらの特定ブロックの組立図をどのように描くかです。

もしかしたら、このようなコンセプトはすでに世界的に発表されているかもしれません。
ただし、上記の記述は単なる想像であり、それを裏付ける証拠も理論も事実もありません。 —– 自分勝手な遊び心からの無知な独り言・・・・、となるだけでしょう。

なんでもいいけど、 生きている恐竜に憧れています。 陥没孔の太古の森に関するニュース記事は、私の想像力に火をつけました。
頑張れ! 陥没孔の研究活動をされているみなさん。

Somewhere there might be sinkhole of DNA?

How to completely eliminate war?
In our DNA, there is a region that drives us to war, isn’t it?
So, a vaccination for war DNA pattern? —– Oh, how foolish—- (ここだけ英文)

プランク定数、エネルギーの世界で最小のコイン

アイザック ニュートンの世界では、それを支配しているのは微分法です。 その基礎となる数学体系は無限に連続的であり、理論的には常にわり算が可能であり、したがって、数えることはできませんが、定量化することはできます。 したがって、論理的には、エネルギーの任意の小さな値を記述することができます。
ニュートンより後の世代の物理学者であるマックス・プランクは、ニュートンが導入したものとは異なる新しい概念を導入しました。
エネルギー値は極小元素の整数倍の値しか取りません。

エネルギーの定量化におけるコイン?

コインは、固定された離散値のみを構成できます。
消費税率が 0.3% で、商品「チューインガム」の価格が 1 ドルであるとすると、消費税の値が 0.003 ドルになると、その 1.003 ドルを、お金でどのように支払うことができるでしょうか?
1セント硬貨を3枚持っていても0.03ドルしか作れませんし、
たぶん、10 人で分けるピザのように、1 セント硬貨をさらに 10 きれに切り分ける必要があります。
もちろん、例えば100万ドルなどの高額取引の場合、上記の場合の消費税額は3000ドルです。 そうすれば、3000 枚の 1 ドル札が必要になります。 お札を細かく切る必要はありません。
専門家の方々、わたしはこのように解釈します。 エネルギーの振る舞いは通貨システムのようなものです。
私は正しい?

そう・・・空間、時間など、すべてに独自の最小のコインがあります。おそらく、または ——

では、最小のコインのような最小単位ですべてを構成する必要があるとしたらどうでしょうか?
特に物理では、素粒子で理論を確立しようと考えています。 そうした最小単位(素粒子)がもっと細かく分散することはないのではないでしょうか???
時間も最小単位を持つのでしょうか? もしそうなら、それは時計の針のようなものです。
おそらく、そのような考えはすでに物理学者によって採用または拒否されており、彼らは私の初歩的で大まかな想像に対し、「失礼ですが、物理学をきちんと勉強なさったほうがよろしいかと・・・」と、ややこしく言うでしょう。
そして、私のほうはといういうと、「なんや、かんや言うてからに、相対性、確率などがあんたらの世界を支配しているときに、適切な方法がどのように定義されるんでっか?」と言って、その声明に報復します。 それから、脱出作戦の準備としてウィスキーをあおりこみます・・・・ハイ、酔っ払いですね。

サイバーワールドでは、すべてが独自の最小単位を持っています。 ビットとか ピクセルとか・・・

現在、コンピュータ グラフィックス技術は、非常に高解像度のビジュアル イメージを作成できます。 ビジョンの動き、色、形など、どれもものすごくリアルに見えます。
もちろん、その視覚的なイメージは、ビット、ピクセル、システム クロック パルス (状態遷移の基準) などの最小単位で構成されています。そして、すべての要素が互いに同期している限り、システム全体がニュートン氏が想像したようにように、連続的に機能します。 ——- たぶん、まあ、確固たる証拠がなくても、そう思います。

宇宙はサイバーワールドのようになっていますね? それとも、それはクレイジーな考えですか?

というわけで、そんなクレイジーで酔っぱらったアイデアを紹介。 宇宙、いわば宇宙論はサイバーワールドの認識で成り立っています。 ループ量子重力は私が想像しているものかもしれませんが、理論を見たことはないので想像したとおりかどうかはわかりませんが・・・。 しかし、サイバーワールドがビッグバンのように指数関数的に拡大している一方で、物理学の理論の発展はそうではなかったという事実を考えると、最新の物理学の理論には、コンピューターサイエンティストがサイバーワールドに導入してきた重要なものが欠けているかもしれません。 コンピューターサイエンティストは、彼らにとってフツーのことが宇宙論にとって非常に重要であるという事実に気づいていません。
—– そう思います —- あ、すみません、独り言です。 (以前、宇宙がサイバーワールドのようにモデル化された理論が ”ある” という本を読んだことがあります。とにかく、その本は理論自体について何も示していませんでした。 そして、私と同じように頭がおかしい人が他にもいるのではないかと思いました。)

プランク定数は、Pi のように、無限級数の収束値として最終的に記述されます。

それでは、もう一度、おふざけをやらせてください。 円周率は、「コイン」を無限個の三角形とするような幾何学的な方法で計算できます。 小学校時代に数学の授業で円周率の近似値を得るためにそのプロセスを行ったことを覚えている人もいるでしょう。 したがって、宇宙が数学的にモデル化できるとすれば、プランク定数は、物理学の実験によって得られる値がなくても、計算だけで得られる可能性があります。
なにいってんの?! おとっつあん大丈夫?!
この分野の専門家や学者は、再びそう叫ぶでしょう。

Stop the war!

ペスト、長きにわたる人類生存の原動力

ペストは”生存”? 本気で言ってるの?
ちょっと、大丈夫? しっかりして!

大丈夫です。 (多分) ペストという言葉にはいくつかの意味がありますが、ここで言っているのは、「黒死病」とも呼ばれるその恐ろしい疫病です。

それは人間に多くの試練を与えてきましたが、その結果、とにかく、回復力、忍耐力、またはもっと単純に ”人間の強さ” などとしての賞賛がもたらされました.

最も古い歴史上の記録

ペストの病原体の痕跡が、約 5000 年前の青銅器時代の人間の遺体から発見されています。 しかし、青銅器時代の人類は自分たちの歴史を記録するという意識に目覚めていなかったでしょう。それゆえ、その痕跡は現代科学によって彼らの遺骨から検出されたにすぎないため、歴史的記録と呼べる種類のものではありません。

その後、いわゆるアマルナ書簡、ヒッタイト王ムルシリ 2 世の楔形文字テキスト、または旧約聖書のサムエル書にいくつかの歴史的記録が発見されました。 それらはすべて紀元前の時代のもので、当時使用されていた言語で書かれています。 ——– 人間の数千年の苦しみの記録です。

それにもかかわらず、それらの疫病はいつも必ず終わりを迎え、最終的には人類に貴重な教訓と「創造」を残しました. 彼らが学んだことからの創造です。

1655年 イギリス、イーム(Eyam)村

「イーム」と呼ばれるその村はペストに見舞われましたが、後に、他の村と比べて生存者数の著しい違いがあることがわかりました。 一部の科学者は最終的に、Delta32 と呼ばれる特定の遺伝子変異が、その驚くべき数の生存者の原因であると結論付けました。 村人のペストとの戦いについての話がいくつかあります。 私が最も感銘を受けたのは、家族全員がペストで亡くなったが、家族全員にさらされていたにもかかわらず、妻自身はペストに感染しなかったという話です。 彼女は彼らにできる限りの看病をしていました。 数百年後、彼女の血筋の中に特定の DNA パターンの保有者が発見されました。 彼女の家族への献身は、その知識を将来の科学者に伝えました。

Delta32、一部の人にだけ与えられていた盾

そこで、質問です。 すべての人が Delta32 を持っていないのはなぜですか?
陸軍組織では、歩兵には携帯銃といくつかの個人用保護具が配給され、機甲師団には重戦車、大砲、ミサイル発射装置などの機械装備が与えられます。 忘れてはならないのは、保護が非常に弱い非武装の民間人です。 自然は、軍隊組織が行うことと幾分似たことをしています。 神聖なもの(私の個人的な意見)である自然でさえ、そのような厳しい差別を行っているように私には思えます。

Delta32 からエイズへ

ここに経験的な知識があります。 Delta32 を持っている人は AIDS に感染することはないというものです。ある教訓から得た一連の知識が別の教訓と結びついて、人間が生き残るための努力をさらに強化していることがわかります。そのようなプロセスは創造と見なすことができます。 人間の創造、あるいは生き残るための努力は、何らかの超越的なもの(自然?)の意図によって、与えられた試練のように見えるそのような差別をすべて排除しようとしているように見えます. 人間は、形が出来上がった後でも完璧ではないと言えます。進化し続けるパソコンのように、人間も進化の過程にあります。 この点で、一連の出来事、試練 – 回復 – レビュー、および試行は、可能な限り完璧な状態に到達するための原動力と見なすことができますが、完全な完璧にはなりません。それは、いくつかの数学的関係で条件付けられた特定の値に連続的に収束し続ける無限級数 (数学) のようなものであり、収束プロセスは決して停止しません。たとえば、「Pi」の実際の値のように。 3.14159 26535 ——————– 永遠に続きます。

人間が地上に現れた当初から、なぜそれがすべての人に与えられなかったのでしょうか?

しかし、人間の誕生の最初に、なぜそのような保護がすべての人間に与えられなかったのか、私は考えずにはいられません。

人間を創造することを意図したある種の存在があるとすれば、その存在は最初から完璧なものを瞬時に創造することはできないようです。代わりに、その作成プロセスの一部として、人間に厳しい教訓を与えます。人間がそのような神秘的な存在によって創造されることを意図されているのであれば、その創造のプロセスはまだ進行中ということになります。

そんな厳しい教訓を与えることで、多様性から、何か強化されたものに収束された何かが生まれるのかもしれませんが、そうではないかもしれません—。—–漠然と感じているだけです。すべてが不確かな場合、多様性もまた重要かもしれません。

私たちは、科学的アプローチの有用性をよく知っています。そしてCovid-19に直面して、PCRなどの大規模なウイルス検出、Covid-19に特化した治療法の開発、ワクチンの開発など、多大な努力をしました。

さて、この短い話の導入に戻ります。 「ペスト、長きにわたる人類生存の原動力」、 必要なものが常にポジティブなものであるとは限りません。試練を乗り越えた後、ポジティブなものは人間によって生み出されるのかもしれません。

だから、あの村「イーム」のあの女性、彼女の話は決してポジティブなものにはなりません。しかし、恐ろしい病にかかってしまった家族を看病するという彼女の驚くべき決意のおかげで、今ではDelta32を知ることができます.。

最近は戦争などネガティブな話が多いのですが、それらはすべて、たとえそれが自然ではなく人間そのものによって引き起こされたとしても、将来、人間に力を与えることになるでしょうか? 「戦争、長きにわたる人類生存の原動力?」
病気にかかったものを看病するのではなく、敵を殺すことで生き残ること。

ボルツマンさん! エントロピー、悲しみ、そして人が生きる理由について考えさせてください。

エントロピーは、エネルギーの運命

結局、それは無くなってしまいます。 (正確に言うと、使えるエネルギーがないということ)。 使えるエネルギーを保持できるものは何もありません。 創造が「エネルギー」を意味するならば、根本的には虚無に帰するのです。 エントロピーの理論は、そう言っています。 (多分)。 えー! 本当に? ちょっと違うんじゃないかな。

哀しみ、それが幸せの宿命?

命の価値を示そうとし、誰も自殺を選ばないように、人生には耐えるだけの価値があることを人々に納得させる方法を模索している特定の人々がいます. ある人は、それを神の罰として、また人間の尊厳を与えるものとして例示しました。 ボルツマンさん、もしあなたがそういった人に会って会話を交わしていたら、あのような悲しい道を選んだかどうか・・・・ と考えています。 あなたのように、エネルギーの運命が人間の運命を表しているという考えに達した人は(たぶん)、エントロピーの要請により、科学的に言えば、結局はすべてが無に帰するので、そういった考えに迷い込んでしまうかもしれません. つまり、幸福のあらゆる瞬間が常に虚無に終わるということです。 しかし、ほんとうにそうなのでしょうか? ねぇ?

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科学って楽しいっすよ!

私は単なるサイエンス ストーリー フリークであり、学者でも専門家でもありません。 最近は、私にとってエントロピーの第 2 ブームが到来しています。 1回目は30年以上前の大学時代でした。 それで、私はエントロピーに関する本を何冊か読みましたが、いつもあなたの名前を見つけました、ボルツマンさん。 その始まりを提供したのはニコラス・レオナール・サディ・カルノーだったことを私は知っています。 そしてルドルフ・ユリウス・エマヌエル・クラウジウスはそれをさらに発展させました。 いずれにせよ、すべての本はあなたをエントロピーの創始者として象徴しています。 それらの本を読んだ後、私はあなたがエントロピーを人生に照らし合わせて考えてしまったために(多分、そうしたと思います)、あなたはその非常に悲しい道を歩んだんではないかと思いました。 それにもかかわらず、私にとって、私の「自分勝手な方法」で科学を探求することは、これまでの自分の愚かさなどの否定的な考えをある程度軽減することができるものになっています。

アルバート・アインシュタインやエルヴィン・シュレーディンガーなど、エントロピーを逆転させようとした (おそらく私が思うに) 有名な科学者たち

アルバート・アインシュタイン氏はかつて、宇宙の運命の数学モデルを作ろうとしました。 彼の最初のモデルは、宇宙が最終的に虚無になることを表していました! しかし、後に彼は方程式を修正して、宇宙が永遠に活動し続けるようにしました。エルヴィン・シュレーディンガー氏は、彼の著書「What is Life?」でネゲントロピーの概念を提唱しました。 ネゲントロピー; 「負のエントロピー」。 彼はエントロピーに関するその悲しい解釈に異議を唱えようとしたんだと思います。 私の理科の先生の 1 人が、エントロピーは増大しつづけ、エネルギーが使われれば使われるほど、利用可能なエネルギーが少なくなっていくことを意味すると言いました。 また、宇宙論は、宇宙が最終的に虚無の状態になる可能性があると主張しています。 死の運命は、鋭敏すぎる人にとっては、エントロピーの理論と哲学的に類似しているように見えると思います。 ちょっと俺って混乱しつつありますが、少し前向きになってきてもいます。

創造はエントロピーを逆転させる鍵か?

Is Creation the key to reversing Entropy?
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創造はエントロピーを逆転させる鍵か?

私たちはまだ結論に到達していません。 私は人生の意義を感じずにはいられないです、はい・・・。 理屈じゃないけど、純粋にそれを感じているのは、情報理論やフラクタルのマンデルブロー集合で何かを感じられるからなんですね・・・。 情報は、規模や形式は変わっても、一度作れば消えることはないと思います。 もちろん、ノイズ(使えない情報)は常にエントロピー増大の結果なのですが、一部の人々がかつて述べたように、一種のフィードバック効果がまさにイノベーションの結果である場合は – – – -. そして自己相似性が物事の基本構造であるならば、エントロピーの変化、すなわち秩序から無秩序への移行も自己相似性を持っているかもしれない。 そうしてこのプロセスは永遠に出現し続けます。 それがまさに無限の意味、そして生命の意味、さらにはエントロピーの真の意味なのですか、ボルツマン先生?

一言

この文脈はなんでもない独り言であり、信憑性はまったくありませんが、とにかくここでボルツマン先生に最大限の敬意を表します。 基本的に、人間は幸せになることができます。人生の意味について論理的である必要はなく、ビールを一杯飲むだけでそれを感じることができます。 じゃ、みんなで乾杯!

その時、科学者たちはそれぞれの船に乗って、洋上からあるいは上空から – それってUFO ? –

はじめに

1980年代中頃、日本の水産庁の水産資源調査船、開洋丸が、不思議な事象に遭遇した。それは、なんとも、UFOに遭遇したのではないかと思わせるような話であった。
その船には、しかも、れっきとした経験豊かな科学者や技術者が乗り組んでいて、彼らはこの出来事を報告し新聞でも報道されました。
そう、それで今回は、この話を二つのSF的視点で見ていきましょう。
ひとつはScientific Facts (SF)/科学的事実です。もう一つのSFは、これはいわゆるScience Fictionです。

科学的事実(Scientific Facts)

開洋丸は、海洋水産資源、例えば魚の行動や分布を調べる調査船です。

この時の開洋丸はその一代目で、現在は二代目が活動しています。

その日、その船は、太平洋の真ん中で調査活動中でしたが、乗員の一人でレーダー監視の専門家が、夜間当直のためブリッジにいました。そして、彼と彼の2名の同僚が、大きな物体がレーダースクリーン上に映し出されているのを確認しました。その大きさは200メートルから300メートルもありました。三人のうちの一人が、その時のことを次のようにメモに残していました。
「レーダーに大きな物体が映し出されていて、我が開洋丸の周りをぐるぐる回っている」「月夜であったが、その物体を目視で確認できなかった」

驚いたことに、船の周りを信じられないほどの高速で旋回した物体は、突然船に近づいてVターンし、船から離れてレーダー画面の視界から外れました。

レーダー探知の専門家は、レーダーシステムの誤動作の可能性を明確に否定しました。

30分後、再びレーダー画面に大きな物体が現れました。 今度は一定の距離を置いて船の後方に現れ、ものすごい速さで近づいてきました。 (後で速度はマッハ 4 と推定されました) 当時、レーダーの専門家はレーダー画面で監視を続けており、他の2人は甲板上で物体を視認しようとしていました。

レーダーの専門家は、物体との衝突は避けられないと思ったのですが、他の二人は上空には何も見えませんでした。 そして、レーダー画面上の物体が船の真上に到達すると、彼らは風切り音のような、あるいは風が吹くような音を聞きました。それは、専門家にとってこれまで聞いたことのない、しかしどことなく嵐のような音や風が吹く音のような音でした。 その直後、レーダーの専門家は顔を上げ、赤や黄色の非常に強い光を見て、思わず「ああ、そこだ!」と叫びました。

まもなくその光は減衰して消え、同時にレーダー画面上の物体も消えました。

注: この事件は30年以上前に起こったものです。 そして、上記の話は「事実」というタイトルになってはいても、それは新聞記事についての私の昔の弱い記憶から来ているので、「事実」という言葉は、このあとに続くフィクションとの対比のために使っています。

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空想科学(Science Fiction)

その部屋は涼しくて快適でした。 そこには、4人の人間のような姿が大きなスクリーンに注目していました。 そのうちの 2 人は、地球上の女性のように見えます。 彼らは、ヨーロッパ系でもアジア系でもなく、それらいくつかのハイブリッドのような容姿で、基本的に美しい姿をしていました。

「船長、海上に船を発見」――――と、絹のような長い黒髪の女性のような姿のものが言いました。

「了解、ケリーニ」船長は答えた。

「視覚的透過画像によると、この船は科学研究が目的と思われます」 「また、戦争などの目的で人を殺したり破壊したりすることを目的とした爆発物が積まれていないことも確認済みです」 – – – 緑色のショートヘアーのもう一人の女性のような者が報告しました。

「オーケー、ラムラ、ここにいるヒューマノイドは皆、私たちと同じ平和な技術者か科学者だということだな?」 – – – 船長は言った。

「そうです。わたしもそう考えています。船長!」ーーーラムラは言った。

別の男性のような姿の者が続けた。 「あの船は検知システムの一種と考えられる電磁波を放射しています。」 「我が異星研究センターからの情報によると、この星のヒューマノイドは、光速度不変の原理、量子論、エントロピーなどの重要な知識をすでに獲得しているが、超光速時空層の存在をまだ知らないとのことです。 一方、文明を維持する力は我々と同レベルです、ただし、戦争というものを完全に排除するということ以外はですが・・・船長!」

「そうか、彼らも戦争というものに苦労しているのだな。かつて我々も、戦争の完全排除に苦労した歴史をもっているが・・・」
「わかった。ならば私に考えがある」
「スカイテス! 第7 銀河系自然文明保護委員会 (GNCCC-7) に、私たちの宇宙船を見えないようにしながら、彼らの検出システムにのみ私たちの宇宙船の存在を表示させ、そして超光速時空層に飛び込んだ瞬間に放射される赤方偏移光だけを肉眼に見せてやってもよいかどうか問い合わせてくれ。そうする事で、彼らの歴史がどうしようもなく大きな影響を受けるのを避けることができる一方で、高度な技術のわずかながらのヒントを与えることができるだろう。彼らには、ミステリアスではあるがなんとなく物語るものがあると感じさせる効果をもたらすことが出来るだろう」 – – – 船長が述べた。

「了解!」- – – その男性のようなヒューマノイドは答えた。

数分後、スカイテスが言った。 「船長、GNCCC-7は、”許可する” と回答してきました」

「よし、それではまず、我々の船の周りの可視性スクリーンを調整して、彼らが私たちを視覚的に見ることはできないが、彼らの検出システムでは見ることができるようにする。これはスクリーンの電磁共鳴帯域を制御することによる。その後、彼らの船の周りを円を描いて飛び回ろう。そして数回周った後、彼らの飛行機械では不可能な V ターンを見せることで、私たちを自然現象ではないなにか未知のものであることを示唆してやろう。 その後、船の後方から再び接近して加速し、船の真上で超光速時空間層へ突入しよう。そうすることで、 その瞬間、彼らは赤方偏移した光の放射を見ることになるだろう。それは、彼らが戦争の完全排除を成し遂げたあとに、いつか私たちの良き友人になるであろう彼らへの、私たちの将来の挨拶になりうるだろう」 – – – 船長が命じた。

接近を開始した途端、4人は洋上にある船の管制室らしき部屋の外側に2体の人型が出現するのを見ることができた。 この 2 人の人物は当惑し、彼らの検出システムで見たであろう物体を目視しようとしているように見えました。

「突入!」- – – スカイテスが言った。

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著者の能書き

最後に、うっかりして、わがままな楽しみのためだけに、こんなばかげた話を書くほどまでに耽溺を広げてしまいました。 この話はかつて有名な新聞に取り上げられましたが、同時に、それが物理法則で予想されるよりもはるかに遠い別の遠い惑星からの宇宙船であったという具体的な証拠はまったくありません。 また、超光速時空層などは私の全くの幻想です。 とにかく、可能性の限界は誰にもわからないので、たとえば「OK、これ以上可能性はありません。確認できますか?」など、何かを否定することは不可能な場合があるということは言えるので、 ここでもちろん、そんな宇宙船を作って超光速を証明して見せれば、「あの事件は本当だった」と言えます。 – – – あっちゃー – – – もう今日のイタズラはこれぐらいでやめときます。

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リフィーディング症候群、低体温症および人間性

彼らはそれをどういうわけか知っていました。当時、それに関する科学的または医学的知識は共有されておらず、まだ確立されていないにも関わらず。

飢餓状態にある人に栄養価の高い食べ物をいきなり与えることは危険なのです。 それはリフィーディング症候群といわれるものです。

そして、低体温症を示す人に直接的に温めようとすると、それはまた命の危険になります。 多くの場合、その人は一種のショックを示して死んでしまうのです。

日本では、武士の時代に、彼らの日記から想像するに、一部の武士はリフィーディング症候群のような現象をある程度知っていた可能性があります。

また、日本では、1800年代後半頃に、100人以上の漁師が亡くなり、ほんの数人が生き残ったという海難事故の大規模な悲劇についての記録があります。 生き残った人々は小さな島の人々によって救われたのですが、どうも島の人々は低体温症の治療法やリフィーディング症候群の回避方法を知っていたようなのです。その時代の日本ではこれらの問題についての知識はまったくなかったはずですが、 たぶん、彼らは命を救ってきた彼ら自身の歴史を通して、ある種の経験的な知識を獲得したのでしょう。

チリの銅山に閉じ込められた33人の男性についてのノンフィクション小説を読んだことがあります。 そのストーリーでは、リフィーディング症候群の予防策が説明されていました。 その中で、リフィーディング症候群の知識についての簡単な説明を少し覚えています。 そこでは第二次世界大戦中の捕虜の治療経験を通じて、その知識が公式に認められたと述べられています。 (米軍将校と兵士が日本軍に捕らえられ虐待された……のです。現在の日本人にとっては厳しい話ですね・・・)

とにかく、ここで私が言いたいのは、知識が科学的に確立される前に、何人かの人々がすでにそれを知っていたという事実です。

もちろん、特に知識が非常に具体的である場合、経験を通じてある種の知識を得ることができますが、リフィーディング症候群の場合、普通に考えて、飢えた人の命を救おうとするのであれば、誰もが単純な結論として、栄養たっぷりの食べ物を与えようとするでしょう。

どうすれば、このようなリスクを認識することができるのでしょうか? 彼らの手の中には人間に生きる力を与える食べ物があるのです! 彼らは、「はい!今すぐこれを食べて、元気になるから!」と思うでしょう。

低体温症に関しても、焚き火などで低体温症の人を温めようとすることにおけるリスクをどのように認識することができるのでしょうか。 人は単に患者の体に暖かさを与える必要性を理解しています。 そして、もし患者が亡くなったとしたら、その人は、暖かさを与える方法を疑うのではなく、単に手遅れだったと思うでしょう。

日本でのその漁師の海難事故で、その小さな島の人々は海岸に漂流した何人かの漁師を見つけました。 そして島民は漁師を小屋に連れて行き、そこで彼らの妻と成長した娘は裸で、彼らの体を漁師の体に接触させ、彼らの自然と生物学的熱が漁師の体に伝わり、それによって低体温症から回復しました。 彼らは焚き火の熱を漁師たちにあてませんでした。実際には当時、彼らは小屋を暖めるために焚き火を持っていましが、それをあえて使わず、奥さんや娘たちに裸で添い寝させて温めたのです。彼らが救おうとした人々はすべて正体不明の見知らぬ人だったのですが。

島民は、漁師たちが命を維持していることに気づいたとき、完全に回復していなかったのですが、漁師たちが食べ物を欲しがっていたにもかかわらず、赤い粘土質の土を白湯に溶かしたものを彼らに与えました。 それから数日後、軽い食べ物、スープのようなものを与え始めました。

なぜ、知っていたのでしょうか。

彼らがそれを知るずっと前に、彼らが海岸で何人かの人を見つけたとします。そうしたとき、その知識につながる可能性があるのはどういった状況でしょうか?
例えば・・・こんなことだったのでしょうか。
 各家族は非常に小さな小屋に住んでいるので、1つの家族が1人をその小屋に連れて行くことにしました。 一部の家族は焚き火をする余裕がありますが、他の家族はそうではありません。 当時、そのような島民は、死ぬほどではないにしても、やや貧困に近い状態に苦しんでいました。 それでも、何人かの家族は彼らの焚き火を使っていました。 他の人たちは、焚き火の代わりに家族全員が集まって暖かさを分かち合い、体を使って人に暖かさを与えるために、毎晩寝ていました。 その両氏たちを小屋に連れてきた日の翌朝、彼らは、何人かは助かり、何人かは死んでしまったという事実を見つけました。 それから彼らは、生き残ったのは焚き火を使わなかった家族に連れて行かれた漁師であるという事実を発見しました。

リフィーディング症候群の場合、一部の家族が食べ物を買う余裕がなかったと仮定すると、——-いやぁ ありえないですね。 生きている家族は、彼らが食べ物を持っていることを意味していますからね。 だから、—–、こういうのはどうですかねぇ、ある人は 栄養のある食品を与え、ある人は最小限の軽い食品を与え、また別の人(食料備蓄がほとんどなかった家族)は木製のトレイで水のみを与え、そしてさらに別の人(食料備蓄がほとんどなく、食器もままならない家族)は赤い粘土質の土で作った場末のトレイに水を入れて与えた、とか・・・。

今日、科学者は、いわゆる対照実験というものを行ったりします。 たとえば、科学研究の目的が光合成の存在を確認することである場合、彼らは複数の実験を行います。 1つは、木の葉をそのまま残し、もう1つは、葉を不透明なシートで覆います。 それからしばらくして、彼らはこれらの葉にいくつかの化学物質を使ってでんぷんの存在を検出しようとします。 結果は明らかです。

この手の話、特に島民がそれを知るようになった理由についてはよくわかりません。 とにかく、彼らの行動に関する限り、それは人間性の力として評価することができます、そしてそれ故に今、そのような技術の時代に入ると、どんな科学的および技術的活動も常に人間性と共に確立されるべきです、さもなければ、そうしたものは生命を脅かすものになってしまいます。

こういうのはどうでしょうか。 世界中の平和な家族がウクライナに移り住み、ウクライナ人と隣同士に住み、ロシアの攻撃が続いていたにもかかわらず、武器を与える代わりに、戦争で荒廃した地域の復興活動やウクライナ人との日常生活、生産、小麦の生産を手伝ったとしたら(その人たちは戦争を一種の自然災害とみなしていて、攻撃が始まると、全員が避難所に避難するのですが・・・)、敵だけでなく世界の平和な家族を標的にしても、ロシア人はさらに攻撃を続けるでしょうか? つまり、この種の行動は、漁師の隣に添い寝して命を助けた島民とおなじようなものでしょうか。 いいえ! いいえ! いいえ! いったいどうして平和な家族がそのような危険な戦争地帯に引っ越して、戦争を自然災害と見なして生きていくことができるのでしょうか?
無理! あるいは、そのような救いの方法で実際に救われる必要があるのはロシア人かもしれません。

ブラウン運動, ランダムなように見えるものはいかにして論理的に扱われるのか?

私が小学生の時だ、ブラウン運動を科学辞典で知ったのは。ロバート・ブラウン氏は1773年に生まれた植物学者で、この現象を発見した。彼は顕微鏡で水面に浮かぶ花粉を観察していて、花粉が不思議な動きをすることに気が付き、調べた結果、それが生命によるものではないと結論づけた。

Thorvald N. Thiele, Louis Bachelier, Albert Einstein and Marian Smoluchowski、などの多くの科学者が、これを理論化し数理モデル化しようとしてきました。

なにかこう、ランダムなものに対して、理論や数理モデルなどなりたつのだろうか?
どうも・・・・そうです、成り立つようなのです。

我々の先生(私が勝手にそう呼んでる)アインシュタイン先生は、確率分布関数を使って理論化しました。子供のころは、確率となると、なんだかあいまいな気がしましたが、大人になって技術屋として暮らすうちに、その合理性にある程度納得できるようになりました。

驚いたことに、アインシュタイン先生のブラウン運動の理論では、原子のサイズや原子の数や分子の質量などなどを特定したということです。アインシュタイン先生はかつて「神はサイコロを振らない」といいました。それならブラウン運動はどうなのでしょうか。

たとえ確率を使ってはいても、このような原子のサイズを計算することなどが正しく機能するのであれば、「サイコロ」のようなものは考えなくてよいでしょう。下図は、ウィキペディアのブラウン運動についての話からの引用でアインシュタイン先生の理論に出てくる微分方程式の一部です。

かの有名な量子力学についての議論はコペンハーゲン側に軍配があがりました。そして「確率」という発想は一時的に受け入れられました。一方で、多くの学者たちは完全に納得しているわけではなく、さらにもっと洗練された考えが存在することは排除できないとしています。

この上述の方程式では、記号Φが確率分布関数として表れていて、この確率を表す関数Φはまた、量子力学の議論の争点でもありました。シュレーディンガーの波動方程式にこのΦが出てきて、電子の波動関数となっています。そしてそれは電子の存在位置を明確に特定するのではなく、観測可能なものを表現しています。この点において、確率を導入することには一定の合理性が見出せます。

ちょっと話題を戻しましょう。ブラウン運動でしたね。この現象では花粉に原子が間欠的に衝突しています。原子がぶつかっては花粉が弾かれ、ということのたくさんのパターンです。子供の時、これを科学辞典で読んで、空気の流れではないのかぁ?と思ったりもしました。そして同時に、ブラウン氏はどうしてこれが、何か意味のあるものだと気が付いたのか、ふつう、だれも気にも留めないとおもうけどなー、と思いました。

実際、ブラウン運動のことは忘れていましたが、最近、このブログのためにフラクタルについて調べていた時に思い出しました。https://rinotaka84.com/2022/06/17/%e3%83%95%e3%83%a9%e3%82%af%e3%82%bf%e3%83%ab%e5%b9%be%e4%bd%95%e5%ad%a6%e3%80%81%e3%81%84%e3%81%9f%e3%82%8b%e3%81%a8%e3%81%93%e3%82%8d%e3%81%ab%e3%80%81%e3%81%9d%e3%81%93%e3%82%89%e3%81%98%e3%82%85/
今や、それが、合理的な問題解決であることを知り、そしてブラウン氏のすばらしい科学者のセンスをみて、ブラウン先生とお呼びさせていただこうと勝手に思っています。

そうです、やっぱり、科学はおもろいやん。

ブラウン運動の理論を経済に応用しようとする人がいるみたいですが、なんかこう大儲けしたいのでしょうか。物理学では、無論、他の基本的な法則、例えば保存則などを前提にしてブラウン運動の理論が適用されています。経済にも保存則のような基本が適用されているのでしょうか。ある特定の個人が大変な額のお金を得た場合、別の人は、生活費さえ得られなくなる。まさに保存則ですね。もしブラウン運動を経済に応用するなら経済のシステムはこの保存則を備えている必要があるでしょう。私は別に共産主義者ではありません、それよりも、資本主義を人類発展の原動力として支持しています。しかし同時に、富の適切な集約や配分、平等性も重要視しています。

ランダムがゆえに、ブラウン運動が経済の仕組みの一部であるなら、極端な富の不平等では成立しない、と私は想像します。ブラウン運動は、それゆえ、人間がいかに行動すべきかを教えています。なんというか、”自由”、みたいな。なんかまた酔ってきたなぁ、なんか書いてることがブラウン運動になってきたような・・・。

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ラクトース、人類との長い付き合い。

ラクトース、ミルクに含まれる物質。 それは人間に栄養を与え、牛や馬のような哺乳類を飼いならすことで簡単に手に入れることができます。 しかし、それは必ずしも人間にとって完璧なものではありません。

ラクトースを受け入れられる体質の人もいれば、そうでない人もいます。 いわゆる乳糖不耐症は、人間の食生活の典型的な問題です。 この乳糖不耐症は、地理的または人類の分布に対して特定の特徴を示しています。 一部の地域では、乳糖不耐症はまれですが、他の地域ではしばしば観察されます。

https://i0.wp.com/blog.education.nationalgeographic.org/wp-content/uploads/2017/11/ex-lactoseintolerance-1125×692.jpg?resize=1125%2C692&ssl=1

This focus on nutrition winds around to what is the most nutritious food that would have been available to modern humans over the past five or ten thousand years. We finally come to the conclusion that milk is a well-balanced food that provides all three critical macromolecules—protein,

https://blog.education.nationalgeographic.org/2017/11/07/talking-evolution-are-we-still-evolving/comment-page-1/

乳糖不耐症の典型的な状態は、腹痛、下痢などです。乳糖不耐症の人は、牛乳の消化に問題が発生します。 そのメカニズムはつまり・・・・; その人はそれをブドウ糖とガラクトースに分解する役割を果たす酵素ラクターゼを持っていないのです。

まあ一方で、ラクトースに耐性がある特定の人々がいます。 そうです、全体として、人間はその進化を通して必然的にラクトースに耐性を持つようになりました。 人間は自身の食生活からこの能力を獲得しました。 たとえば、遊牧民の一部の部族は家畜から牛乳を取ります。 したがって、ミルクは比較的安定して手に入る重要な栄養源の1つであったため、ラクトースに自然に適応することができました。 部族の人々がそれを適応させることができない場合、彼らは生き残るチャンスを失います。

人間の体はどのようにしてラクトースを受け入れる必要があることに気づいたのでしょうか? この機能は基本的にヒトDNAにプログラムされているようです。 しかし、このDNA機能は、ずっとまえから常に存在していたとは限りません。 DNAが自分で突然変異する必要性を感知できるように、ある種の信号がDNAに送信されていたのかもしれませんが、学者たちはまだ答えを探しています。

In the footsteps of my lactose-intolerant ancestors

https://www.nationalgeographic.com/science/article/in-the-footsteps-of-my-lactose-intolerant-ancestors

それで、現代人にとって、「DNAを学ばせる」というそのメカニズムはまだ機能しているのでしょうか?

もし現在の食べ物が利用できなくなったらどうしますか? 現在食品とは見なされていない別の食品に適応できますか?

この種の機能は、生命体の学習システムである可能性があります。 これは「適者生存」の重要な要素の1つであるともいえるでしょう。 それは脳に関係しているんでしょうか、 人間の脳はどのようにしてこのように安定した厳密な方法でDNAとともに機能することができますか?

今日、環境は急速に変化しています。 ですから、将来、人間は日常の普通の食べ物が手に入らなくなり、それでも人間がそれに適応するためのDNA変異が必要であるにもかかわらず、新しいタイプの食べ物が求められる状況に直面するかもしれません。 次に、新しい化学物質が開発されます。これは、新しい機能、”新しいタイプの食品への耐性”を実現できるようにDNAを変異させることができる一種のワクチン接種です。 食料危機のこのような恐ろしい時代に、利用可能な食料源は人間の糞だけであると仮定します! 何てことだ! その後、特別な予防接種が開発されます————-。 あなたは食べられますか? それとも、あなたは絶滅の運命を選びますか?

さて、このような極端な話はさておき、 DNAはそれを学んでいます、つまり誰もがそれを学んでいるということです。 したがって、学業成績や収入額、家族のルーツなどで個人を評価するだけでは、誰のDNAがそれを持っているのか誰にもわからないので、人間の生存そのものの可能性を失うことは間違いありません。 ですから、私自身、アントワーヌ・ド・サンテグジュペリの「星の王子さま」のキツネのようなすべての人間にとって特別なVIPかもしれません。 そうでなければ、DNAが最終的に人間の差別の原動力になる場合、 私はそれに反対します。 ラクトースは、個人であることは人間の自由であると私たちに教えてくれていると思います。 それは人に長い間それぞれ必要であったものを与えてきたのです。

フラクタル幾何学、いたるところに、そこらじゅうに、いつでもどこでも、でも、良く見えない

フラクタルは謎だらけ。しかし、理論化はされている。何といっても特徴的なのは自己相似性だ。全体のある部分を拡大すると、その全体と同じ姿が現れ、その現れたものを更に拡大すると、また、同じものが現れる。

Self-Similarity

https://users.math.yale.edu/public_html/People/frame/Fractals/

More Examples of Self-Similarity

https://users.math.yale.edu/public_html/People/frame/Fractals/

・・・・・一度、その魅力にとりつかれると、インスピレーションが浮かんでくる。
宇宙がフラクタルだったとしたらどうだろうか。相対性理論と量子力学の長年の不仲をフラクタルの概念で解決できるのではないか。
・・・・・あるいは、フラクタル幾何学の中にしばしば現れる生命体の姿かたち、特に植物のような形から、生命体はフラクタルに支配されているのでは。
・・・・といったようなことが・・・・。

時空・・・・、もしこれが適切に量子化されたら、フラクタルが現れるとか。
過去のある瞬間、その瞬間の空間に関する情報は光子の形で残り、それゆえ、無限のそれらの瞬間の連鎖は、たぶん、ある種の自己相似性を形成する。おそらく・・・

生命体とフラクタルの関係に目を向けてみるも、それはうまくいかないのは分かる。
そうだよね。たとえば、生命体のある部分を顕微鏡で拡大すると、見えるのは細胞であり、それは生命体の姿の自己相似になんかなってない。明らかに。

人体のフラクタル。んなわけないだろ!

さらに拡大すると見えるのはかの有名なDNAの二重らせんだ。

DNAは生命体の設計図・製作図そして仕様データであり、言うなれば、情報だ。

情報であるとすればフラクタルか?

情報!そうだ、そういうことだ!見た目、あるいは生命体がどんな姿か、ということも情報だ。だから、その相似な情報がDNAに保存されているなら、こうした関係は自己相似と考えられ、ゆえにフラクタルであると、ある意味では言える。

なんてこった! それ言い過ぎ! 落ち着こう、そうしないと学者や専門家からお𠮟りをうけてしまう。

いいや!頑固に続ける!ありのままに!(例の歌を口ずさむ。)

それで、どんだけさらに拡大できるのか。フラクタルはくりかえしくりかえし自己相似性が現れるし、そうである必要がある。

そう、その先は魂の次元あるいは領域に隠されている。
そこでは、人間の魂のエッセンスが形となって表れている。無論、そのエッセンスもまた情報だ。

それで、その次のレベルは何になるのですか。
すいません、わかりません、私は専門家ではなく、酔ってるだけです。

フラクタル幾何学は物理的な姿を表現するのではなく、なにか、基本的で本質的なもの、例えば物理の法則や生命体の特徴といったようなものを表しているのではないのだろうか。相対性理論では、それぞれの個々の座標系は、その系の運動にかかわらず、物理法則を同じ形式で常に維持しているというようなことが論じられています。もし仮に物理法則を一種の幾何学とするなら、それは自己相似性であると、私は思います。

幾何学一般は情報として考えることができます。それゆえ、あるものの見た目が他の物と全く違っていても、それが持つ情報は相互に相似になり得ます。そして全体として集約されたものが、ある単位を形成する場合、その単位はおそらくフラクタルであると言えるのかもしれません。

あるいはまた、DNAのように、個々の単体はそれぞれに固有のDNAを持ち、しかしながら、もしそのDNAを情報としてとらえるなら、決して他から独立することはなく、それよりも、互いに結びつくことになる。この結びつきは、時間と、空間と、進化のプロセスに沿った形で現れる。
この発想はフラクタルにつながり得るのではないかと、確固たる証拠はないが、とにかく感じられるのです。

私は最近、フラクタル幾何学の進歩を心配しています。かつては科学技術の世界でもてはやされていましたが、最近、姿を消しつつあるように思うのです。たぶん、もうからないからでしょうかねぇ。